言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

特別な街とあの時の仕事の思い出

住みたい街、住みたかった街、というお題があったので、なんとなく思ったことを書いてみる。


私にとっての特別な街がある。群馬県の前橋という街だ。

ある一時期ずっと私は前橋を拠点に仕事をしていた。住んでいたわけではなく、週に2~3日くらい出張という形でホテルに泊まる生活をしていた。自宅と、会社と、前橋と。あとはたまに山梨に行ったり(そこも担当だったので)。そんなよくわからない生活をしている中で、一番前橋に長くいた気がしている。

仕事は大嫌いだったが、前橋のことはなんだか好きになっていた。妙な愛着といえばいいんだろうか。私の群馬での拠点はいつも前橋だった。

 

前橋駅前のビジネスホテルにいつも泊まっていた。平凡な、平々凡々なビジネスホテル。近くに飲食店も少なく、夜ご飯の選択肢も少ない。だから、他所から戻ってくる時なんかは、前橋インターを降りてすぐのところにあるサイゼリアをよく利用していた。ホテルの横には駅前なのに天然温泉のスーパー銭湯みたいなところがあって、毎日ではないけれどたまに足を運んでいた。心に余裕のある時だけここに入った。

 

家に帰れない日が多い分、前橋で過ごすのが普通になっていた。

 

泊まる場所は、本当は群馬ならどこでも良いはずだった。実際何度も高崎に泊まることがあったし、諸先輩方も大抵高崎に泊まっていた。みんな口を揃えて「前橋なんて何にもないから高崎に泊まりなよ」なんて言っていた。私はそれを「そうですよね〜」と言いながら聞いていたけれど、結局前橋をずっと根城にしていた。

別に夜に飲みに行くような店がなくたって良かったのだ。どうせ運良く19時とかにホテルに入れたとしても、日報を書いたり週報を作ったり、資料を用意したり、データを拾ってきて報告用の書類を作ったり。そういう「酔っ払ってるとできない仕事」が多すぎて、どこかで飲んでいる場合ではなかったのだ。

みんなよくもまあ出張先で飲み歩きながらも、帰ってきて仕事ができるもんだ。要領がよくて羨ましかった。私はなかなか終わらせられなかったし、飲むとなかなか仕事が進まなくなるから飲みませず、だらだらと机に、PCに向かい続けた。

 

前橋にいた頃は、いいことより嫌なことの方が多かった気がする。

 

日付が変わっても書類が作り終わらなくて、夜中ずいぶん遅くまで資料を作ったっけ。朝、ベッドから起きるのが怠くてごろごろしている時に良く上司から電話がかかってきたりもしたな。あの人ホテルの中にいるとすぐわかって、せっつくんだよな。9時には最初の取引先に行けって、まあ、わかるんだけどさ。なんのために泊まってるんだって。家から来たら3,4時間はくだらないから泊まってるわけだけど、少しでもだらける時間が欲しいって思うじゃないか。

電話で説教された時は本当に何にもしたくなって、ホテルに帰ってふて寝した。本当にそのまま朝になってしまったこともある。

ずっとずっとその日暮らしのような生活だった。

その日暮らしといっても、日銭を稼ぐわけじゃないけれど、売上を稼いでいくわけだから似たようなものだ。取引先に行かなければ売上はあがらない。電話やFAXなんかで注文してくれる数は「お店が必要な」数だ。必要な数だけでは売上は足りない。市場はマイナス成長なのに、予算は毎年前年比110%ベース。5ヶ年目標とか組むからだよ。前年が未達ならそのまま増えるだけ。明日はどうしよう。今日はダメだった。今日もギリギリだった。明日こそは。でもあてはない。ないなら作るしかないけれど、何とかする時間も余裕もない。時間はあるけれど、あるけれどないようなもんだ。前橋というか、群馬にいる時は売上をどうするかで本当に頭がいっぱいだった。伊勢崎に行って、館林に行って、太田に行って、桐生に行って。渋川や沼田、中之条の方へ行くこともあった。もう一つ担当していた山梨方面の売上が壊滅していたので、群馬で何とかするしかなかった。何とかならなかった。

 

そういう苦い気持ちと、前橋という街は常に一緒にあった。

だからこそ、だからこそだろう。嫌なこと、辛いことがあったときに居た場所ほど、後からなんだか懐かしくなる。思い入れのある場所として。

こんな仕事はもうやりたくない。どうせ勤まらないし、実際勤まっていない。前橋出張の時はずっとそんなことを夜と朝と、昼と、また夜と朝に考えていた。ずっとずっと考えていた。ずいぶん他の同期入社の仲間と電話をしたものだった。気を紛らわしたいのは他の同期たちも一緒で、それは私のように出張でどこかに出ている者もそうだし、都会を担当している者もまた同じだった。みんな私よりもずっとタフで、負けず嫌いで、でもやっぱり電話をすると出てくれるし逆に掛かってくることもあった。

「今どこらへんにいるの?」

そう聞かれた私はほぼ必ず、

「群馬だよ、前橋」

と答えていたような気がする。実際ほとんど群馬にいて、群馬の前橋のホテルのシングルルームで電話をしていたのだから。

目に前に残っている嫌な仕事を触りながらも、電話では笑って、笑って、楽しく話したものだ。

 


前橋は県庁所在地なんだけれど全然栄えていなくて、隣の大都市にいろんな中心を奪われているような、そんな都市だ。電車で言うと3駅、10分ほどの距離に高崎という県内第一の大都市がある。高崎と前橋。しばしば両者は比較され、しばしば「前橋の方が県庁所在地なのにしょぼい」といった具合で貶される。まあ実際高崎には何でもそろっているけれど、前橋というのはなかなかどうして栄えていないわけだ。中心街は前橋駅から離れていて、上毛電鉄中央前橋の駅のあたりがそうだろう。前橋駅前には商業施設らしきものがあまりないという、その事実が余計に栄えていないイメージに拍車をかけている。

全然栄えていなかったけれどいいこともちゃんとあって、例えば駅前の道が広くて混んでいなくて、高速のインターから降りてささっとたどり着けるところとか、駅前のビジネスホテルでもちゃんと駐車場付きでなおかつ繁華街じゃないから安いとか、まあそんな感じだ。あとは駅から車ですぐのところに大きなショッピングモールがあるとか。

 


悪いところは……駅前のスーパーがつぶれて更地になっていること、食事をできるところが極端に少ないこと、風が強くて冬は異様に寒いこと(雪はめったに降らないのに)。まあそんな感じだ。こういうのってきっとよくある地方都市ってやつなのかもしれない、他をよく知らないけれど。

 

今はもう、そういった出張生活を送っていないので、前橋に足を運ぶ機会はぐっと減った。それでもたまに思い出しては前橋を拠点にして出かけることがある。仕事終わりに前橋で宿泊して、翌日前橋か高崎あたりで車を借りて出かける、とか。


住んでみたいかと言われれば、どうだろう、答えとしては「仕事があれば」になると思う。フリーランスになるとか、リモートワークで良い会社に就職するか、あるいは新幹線通勤をできる会社であるとか。前橋市もほかの自治体みたいに新幹線定期の補助を出してくれたら面白い(※前橋には新幹線駅はないので高崎から)けれど、確か移住の一時金とかはあるみたいだし、調べてみてもいいのかもしれない。今はまだ夢物語だけど、いつか。

あれだけ嫌だった仕事をしていた時にも、決して嫌いにならずむしろ好きになったこの街。前橋にまた「戻る」ことはあるのだろうか。その時はもっと好きな仕事を、というか今のような仕事の延長線上にいるだろうか。

 

また前橋へ行きたい。帰りたい。

あの頃には帰りたくないけれど、あの街になら。

 

 

 

書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街

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by リクルート住まいカンパニー