言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

CDを積んだ


CDを買った時、なんとなく開けずに放置してしまう時がある。どうせPCに取り込んでiPodiPhoneで聞くのだからさっさと取り込んでしまえば良いのだけれども、なんとなくそのまま放置してしまう時がある。
昔はCDを買ったらもうすぐに取り込んでずっと聞いていたものだったけれど、いつからそうではなくなってしまったんだろう。

もともと「積み癖」はあるのだけれど、それ以上に、CDを取り込む行為が既に面倒くさくなりつつある。特典が付いてこなかったりそれも必要ないものはDL配信で購入することが普通になった。欲しければ買ってその場で聞ける利便性と、iTunesが母体としてわりと安定していることも要因だろう(MacBookからは消すとか何とか言われているけれど)。1200円でCDを買って2曲(+オフボーカル2曲)得るのと、1曲200円、4曲でも800円で得られるのと、曲を聞きたいという点においては差を感じないほどになっているのである。
もちろん収集家としてはCDを買うことも普通にある。それは初めからそのCDのシリーズを買っている時とか。初めからずっとそろっていたらまあ、買うよね。CDにこだわらないのは、新しく手を出したコンテンツなんかにはかなりやりがちである。好きな曲を買う、聞く、他も気になれば買う。集めるだけならばTSUTAYAとかでCDを借りてくることもある。買うより安かったからだけど、最近家の近くのTSUTAYAが閉店し、さらに隣駅のTSUTAYAフランチャイズから直営にでもなったのか1枚50円(シングル・当日)をやめてしまったため買った時と変わらなくなってきているので、余計DL版で買うようになった。


かつてはCDはバックアップとしても優秀だった。PCが壊れてしまった時、データを救出するよりも新たにCDから取り込んでしまった方が速かったからだ。当時は外付けHDDとかも持っておらず、データ救出は救出ソフトと256MBのUSBを使って行ったものだった。もう7,8年近く前のことである。Windowsが立ちあがらなくなったものの、HDD自体は一応生きていたのでデータ救出が出来たのだ。ただまあ256MBのUSBでは今考えてもあまりにキツイ。もともとPCはWordで物を書くのに使っていたので、音楽をこうして集中管理する場所としてはほとんど考えていなかったこともあって、また容量の大きなものを外に出すような機会もほとんど考えられなかったために大きい容量のUSBは全く必要としていなかったのだ。
そういった意味ではCDの状態で持っていることに大きな意味があったのである。
ところがまあ最近は、めっきりCDそのものの出番が最初の取り込みとバックアップ要員になってしまった。そのバックアップとて有限である。普通にHDDとかのほうが長持ちするまである。ただまあ音楽データと言うのは結構重いので、そういった意味ではCDであることにある程度意味はある。iTunesなんかでは、CDを入れさえすれば楽曲名や歌手名なんかを入れなくて済むから(自動で取得してくれる)いいよね、と思っていたけれど、どうも最近調べてみたらライブラリごと別PCに移したり出来るそうなので、そういったアイデンティティも奪われつつある。

一応繰り返すが、私はCDを買うのを辞めたわけではないし、嫌だとは思っていない。手段として面倒くさいと思っている自分がいると言うだけの話である。いつかなくなってしまうとかそういった事は思わないけれど、CDをプレーヤーにかけて聞いたりする時代はいつの間にか終わってしまっていて、あの頃の、それこそCDからカセットテープへダビングしていた時代のことがすごく昔のことのように思えてしまうのである。言うほど昔じゃないような気がするのにすごく遠くなってしまった。家の中を探せばあるかもしれないけれど、でももう使い物にはならないだろう。
CDが買えない時は有線放送のリクエストを使ったりもした。流す曲をリクエスト出来るチャンネルがあったのだ(今でもあるかもしれない)。電話をかけてリクエストすると、その曲を流してくれる。カラオケの選曲とかと同じで、一部リクエスト出来ない曲もあったりした。不便な時代だった。CDどころかネットも普通にあった時代だけれど、手に入るとか自分で使えるとか、そういうのとは別だよね、ということでもある。
そして手に入るなら便利な方を良く使うようにはなるよね、と。でも意外となんだかんだで使わなくなることはないのが面白いところだ。