言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

立食パーティー

立食パーティーで悩むのは、自分の分の食器のの置き場所だ。いつも、というかそもそも立食パーティーに行く機会なんてそう滅多にないからこそ、経験値が足りなくていつも悩んでしまう。
座席が決まっている立食パーティーというものがあればいいのだろう。お皿もなんでもそこに置いておけば「わからなくなる」ことはまずないだろうから。でもまあ、立食パーティーは最初の立ち位置だけは決まっていても、その後は自由に、流動的にいることが普通だろう。せっせと動いてできるだけ色々な人と話をして楽しむ、というのが目的なのだから、何処が自分の場所なのかとかそういうことはあまりないはずだ。


食べ物のお皿と、飲み物のコップと、あとは箸とかそういうものを持っているわけだ。まずは乾杯をするから、どこか適当な机に行って、コップに飲み物を継ぐ。そんでもって乾杯する。その後は料理を取りに行くわけだけど、その時点でじゃあ飲み物を持っていくのかどうか。私はコップは置いて行ってしまう。料理をお皿に盛る度に一々置いたり持ったりするのが面倒くさいと思ってしまうからだ。

その結果どうなるかと言うと、戻ってきた時に自分のコップがどれだかわからなくなる、と言うわけだ。乾杯直後ならなおの事、中身がみんなビールばっかりなのでもう判別がつかない。だいたい、料理を取ってきて自分のいた場所にそのまま戻るかと言われれば得てしてそうでもないから、自分のコップとはもう乾杯時点を最後にお別れなのである。違う飲み物にすれば別のコップにしてもまあ不自然ではないので、適当に新しいコップでも持って、適当に見つけた知り合いのところにでも行く。そういうやり方になってしまう。


他の人はどうしているんだろう、と思って観察して見ると、その姿は実に多種多様である。
例えば器用な人は、お皿もコップも両方持った上で移動したり、料理を取りに行ったりしている。なるほど上手いことやるもんだ。両方持って、両方維持している。机にたどり着いた時だけ下ろして、食べたり飲んだりするスタイルと言うわけだ。かしこいやり方だ。ただ、机のないところで立ち話になった時は若干面倒くさそうではある。

几帳面な感じの人は、きっちり自分のいた場所に戻ってくる。移動するときは、まず机に置いてから、まとめて持って運んでいたいたりする。なるほどスマートなやり方である。料理を取ってきた帰り路の道草的小話をしないのかと思えば、そうではなく一旦荷物を置いて体制を整えてからと言うようにきっちりと区切っているのがまたすごい。


いろいろやり方がるんだな、と感心しつつ、次は自分も試してみよう、と思うわけだけれど。
ところがどっこい、次の立食パーティーの機会なんて、また忘れた頃にやってくるわけである。そんなもんだ。