言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

ゆっくりゆっくり下ってく


変な夢を見た。自転車に乗って旅行をしている夢だ。漕いでも漕いでも目的地にたどり着かない。足が重くてもう結構疲れているのだけれど、全然目的地が近づいてくる様子がない。あたりが暗くなってきて、いつの間にか夜になって、横になりたいな眠りたいなとか思っていても、もう宿を予約しているからそこまでたどり着かないと、と自転車を漕ぐしかない。

結局目的地とやらにたどり着くよりも先に、目が覚めた。


自転車。最近ほとんど乗っていない。ほとんどというか、一番最近乗ったのはもう3年くらい前のレンタサイクルの自転車だったと思う。家には自転車があったけれど、いつだったかに処分してしまった。場所を取るだけでもうずっと乗らないとわかっていたから。


中学生くらいまではほとんど自転車に乗って移動していたような気がする。学校へ行くのには自転車は使えなかったけれども、それ以外ならかなりの頻度で使っていた。
移動のための足。それが自転車。あるのとないのとでは大違いだった。歩いて行くのと自転車で行くのとでは、行ける距離が違う。家に帰らなくてはならない時間が決まっていただけに、歩いて行くよりもずっと自転車の方が長く遊ぶことができた。
もっとも、行き先が自転車を止められる場所でないといけないという欠点はある。それでもあんまり止められなくて困ったような思い出がないのは、そんなに遠くへ遊びに行ってなかったからだろうか。


高校生になったら急に自転車に乗らなくなった。電車に乗って学校に行くようになったからだろう。もっとも、学校まで自転車でも通うことは不可能ではなかった。というのも、近所に住んでいる友達は自転車で登校していた。私は面倒くさいのと飴の日の事を考えて、普通に電車で通ってしまった。
近いくせに乗り換えが必要だったから、定期代は結構高かった。高かったくせにどこにも寄り道するような場所のない定期区間。それでもまあ良かったのだけれど。

まあどうせ学校に行く時には使わないのは変わらないのだけれど、遊びに行くときに自転車に乗らなくなったのはすごく大きい。自転車で行ける範囲に遊びに行かなくなったというほうが正しいだろうか。いつの間にか自転車で出かけることがなくなってしまったのは、自転車で出かけるという選択肢そのものがなくなってしまったことに他ならないという事なんだろう。


社会人になった今は、自転車に全く乗らなくなってしまった。乗る理由もなくなってしまった。ごくごく稀に乗る機会があるとすれば、それは例えば旅先のレンタサイクルとか。
それもまた、車を運転できるようになってめっきり使わなくなってしまった。


昔、金沢の街中を、汗をだらだらかきながら自転車で巡ったのを思い出す。暑かったけれど、それはそれで楽しかったものだ。街中の観光地には専用の駐輪スペースみたいなものもあったし、来るまでは入れないような石畳の道なんかにも入れるから、それがちょうど良かったんだ。

今行ったらまた使うだろうか。今度は車で行くだろうか、それとも、あるいは。