言葉のリハビリ場

好きなことや思い出したこと、忘れていたこと、つらつらと文字にしています。

食欲とラーメン屋

ラーメン屋に行くと、空腹度の認識が「バグって」しまう。自分がどのくらいお腹がすいているのか分からなくなってしまうのだ。
空腹を感じるのはたぶん主観的なもの(「なんか腹が減ったなぁ」の感覚)と、後は客観的な状況分析によるものがあると思う。朝ご飯を何時に食べたのかとか、量はどうだったのかとか、お腹を壊しているかどうかとか。そういった要素があるから空腹かどうかは、感覚だけでなくなんとなくわかりそうなものであるし、実際普段はそうやって無意識に判断している側面はあると思う。

ところがラーメン屋に行くと、その瞬間基準が感覚的なものだけに切り替わってしまうのだ。
早い話が、ラーメンに対しては「すごくたくさん食べられるような気がする」状態にあると錯覚してしまうのである。

ラーメンを目の前にしての無敵状態である。
ただしその多くの場合は錯覚だ。錯覚ゆえに、美味しさのピークはひと口目をほおばった瞬間にやってくる。ああ美味い。これだよこれ、これが食べたかったんだよね、美味いなぁ。そこからは緩やかな下り坂が続き、いつの間にかお腹のキャパシティーをオーバーしかかって急転直下、崖下に転落するのである。食べ終わった後の満腹すぎるあの感覚を何度味わったことか。
中学生くらいの、運動部に入っていて無限に大盛りを食べられるようなあの時代はもうとっくに通りすぎているという現実を突きつけられるのである。意外と食べられないし、食べられるけれど苦しいし後に響くという嫌な現実。
ひと口目が最高に美味しく感じるだけに、適量を何故頼めないんだという自責の念は凄まじい。さすがに大盛りとかは頼まなくなったけれど、その代わりとばかりに餃子だとかそういったサイドメニューを頼んでいるのでさほど量が変わっていないことにいい加減気付いたらどうだ自分。
大盛りはまずいけど餃子6個くらい良いよね……? 良くない。全然よくない。でも食べる。ひと口目をほおばった時の感覚が忘れられなくてまた繰り返す。次は少なくしよう。そう思っても、ついつい少な目とは頼めない。お腹が空いている時も、そうでないときも。なんとなく食べれるような、そんな何でも食べられそうだけれど大盛りとかにせず普通で我慢しましたよ? 感が頭の中を掛けめぐっているので、少な目にとはなかなか頼めない。
お酒を飲んだ後の締めに食べるラーメンは少なめにとか言うかもしれないけれど、普通に食事をしにきて減らす選択肢はなぜか浮かんでこないのである。
これが定食屋であれば普通にご飯を少なめにしたりするのに、不思議なものである。
ラーメンの持つ魔力か何かだろうか。

ごく稀に、お腹が空いていないと思っていたけれど、一口食べてみたら案外イケる、という場合がある。これがあるからタチが悪い。なんとなく食べられてしまうと言うより、空腹を忘れていたとか認識できていなかったとか、そういう体験があるがゆえに、あまりお腹がすいていないように感じるけれども実はたくさん食べられるのではないか……? との思いが産まれてくるのである。

自分自身との騙し合い。大抵自分が勝って自分が負ける。完食という戦いに勝って、苦しさと言う意味で勝負に敗北している。でもどうしたかラーメンには逆らえない。自分のキャパシティーが今どうなのかを考えられなくなるラーメンは、恐ろしいものだ。