言葉のリハビリ場

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楽しい水風呂

水風呂といえば真っ先に思い浮かぶのはサウナである。サウナで汗をかいた後、水風呂に浸かるのは最高に気持ちがいいことであるらしい。らしい、というのは私がサウナにはほとんど入ったことがないからであるけれど、熱いお湯に入った後の水風呂も気持ちがいいものであることはよくよくわかっているので、そういうものだろうと理解をしている。北欧ではサウナに入った後、極寒の湖にそのまま飛び込むことさえあるというから、水風呂の概念そのものは結構普遍的なものなんだろうと勝手に思っている次第だ。

とは言うものの、私が水風呂に入るようになったのはここ数年の話である。それまでで一番好きだったのは露天風呂で上半身を冷たい外気にさらすことであった。今でももちろんよくやる行為である。雪の中の露天風呂で涼んだりお湯に浸かったりするのはとても気持ちのいいものであり、また解放感もあって良い。

水風呂もまた気持ちよさと解放感の得られるものである。もっとも、水風呂の解放感とは露天風呂のそれとは多少趣の異なるものであるのは間違いがない。解放感というのはより概念的というか、意味が違うというか、なんというべきか。まれに露天風呂のような形で水風呂が設置されている場合もあるが、ほとんどの場合水風呂は屋内、それもサウナの近くであることがほとんどである。だから外部に向けて特に開放的ということはない。どちらかというと水風呂そのものの話であって、服を着ないで入る冷たい水、への何とも言えないむずかゆさが解放感そのものであるかもしれないと思っている。裸で入るのはお湯であって冷たい水ではない、という普段の常識がなんとなく体に染みついていることを気づかせてくれる貴重な機会でもある(別にそんなものなくてもいいのだけれど)し、。水着で入る温水プールや温泉はそこまで違和感を覚えないのに対して、裸で入る冷たい水風呂というのは不思議な感覚に襲われるのはなんとも面白い話である。

私が水風呂に何のために入るのかといえば、それは交互浴というやつのためである。理論は気になったら調べてほしいが、何度も熱いお湯と冷たい水を行き来することで身体が温まったまま冷めなくなるので、冬にはとてもよい温浴方法だと言える。極寒の露天風呂に出向く前に行うととても良い。水風呂に初めて入るときはかなり抵抗があるものだが、1度目は身体に軽くかける程度にとどめ、2度目の水風呂タイムで肩までつかるとそこまで抵抗がない。1度浸かってしまえば後はもう慣れたもので、平気で入れるようになる。
気持ちがいいのでぜひやってみて欲しい。私はそこまで長風呂するほうではなかったはずなのだが、この方法を使うようになってからはかなり長い時間居座る場合も増えた。端から見れば「何度も移動してどうしたんだコイツは」という感じだろうけど、水風呂と大浴場とを交互に行き来しているだけの事である。

温まった身体を冷水にいきなりさらすという行為は、そうめんを茹でて氷水で「締める」ようなものだと時々考える。水で締めて、お湯でほぐして、また水で締める。そんでもってまた解きほぐす。そうめんはたぶん繰り返しても美味しくならない気がするけれど、人間の身体はとても温まるし、水風呂に入っても熱さを失わなくなる。私はこの時の事を勝手に「整った」とか呼んでいる。たぶん誰かも言っていた。整えてどこに行くかと言えばせいぜい露天風呂くらいなのだけど、まあそれでいいんだと思う。

身体を洗って温まるためだけにお風呂に入るのもいいけれど、せっかくスーパー銭湯とかに言ったのならば設備をいろいろ使ってみるのも良いと思う。普段使いとちょっと違った利用法。それが水風呂の活用にあると思う人はぜひやってみて欲しい。
くれぐれも心臓の弱い人とかは気を付けてゆっくりやってみること。