言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

予備校の自習室の思い出

私は家で勉強ができないタイプの人間だった。テスト勉強なんかの時はその2週間くらいを集中すればいいということで、部屋を閉め切ったりなんなりで乗り切ってきたが、大学受験の勉強ともなれば長期戦となりそれでは集中力がなかなか続かなかった。
特に追いこみの時期になると学校に行かなくなる(授業がなくなる)ので、ますます家に居ることになる。そうするとちょっとした生活音、特にテレビの音だとか喋る声だとか、そういうものがとても気になるようになってしまった。家族に協力してもらうのにも限度がある。というか、受験勉強をしているからテレビを見るな音を立てるな喋るななんていったい何様だという話であるわけで。だから、大学受験の時は予備校の自習室にほとんど毎日通う生活をしていた。
私の受験勉強の後半ほとんどは予備校の自習室にあった。

幸い自習室の環境はとても良かった。話をするような人は当然居なかったし、筆記音のような情報量の少ない音が主だったので、それが不快になるようなこともほとんどなかった。

音楽や会話は情報量が多い。無意識に入り込んでくると、思考に影響を及ぼしてしまう。集中してしまえば変わらないのかもしれないけれど、結局集中するまでにそういったものに邪魔されてしまうのが結構イライラを助長してしまうものだ。苦手な英語の勉強なんて特にそれがストレスだった。
一点集中タイプの私にはそんな環境がちょうどよかった。当時まだスマートフォンは持っていなかったし、そのタイミングでメールなんかをよこしてくるような友人もなく、何かと誘惑の多い自宅よりはずっと集中できた。それがよかった。でも息抜きと称して電子辞書のメモ機能にいろいろ書いていたりしたから、集中するものを少しはき違えていたような時もあった。そんなこともある。

あとは、そこの予備校の自習室独特のルールとして、「毎時30分に着席している事」が席確保の条件だったから、お昼ごはんを食べに離席しやすくてとても便利だった。
自習室は飲食禁止だ。多少の水分補給や、飴くらいは黙認されていたけれど、さすがに座席でもぐもぐ食べるのは禁止されていた。
朝から夕方まで自習室をずっと使うには、当たり前だけど食事が欠かせない。離席が認められないシステムだと、食事後にもう一度座席を確保しなくてはならないので大変だろう。そもそも自習室というのは座席が全部埋まっていれば順番待ちの列に並ぶことになる。わざわざ自習室にやってきて順番待ちの列に並ぶのはなかなかしんどい。予備校の授業の前後に自習室を利用する人が多いのでそれなりに回転するのだが、それも入れ替わりには運の要素が強い。雨の日なんかは特に帰りたくなくなる人が多いのか、自習室はなかなか入れ替わりがなくなるものだった。

だからこの「毎時30分の着席ルール」があって私はとても助かった。11時半になると私は自習室を出て、いそいそと食事に出かけ、12時半に間に合うように戻ってくるのが日課になった。
他の人に話しても、なかなかこういうルールは予備校ごとに独特なものがあるようで面白い。そもそも自宅で普通に勉強できる人は多いのだから、あまり自習室を使わなかったという人もいるし、本当に人それぞれだ。

ただ私はあの自習室での生活が好きだった。そういう思いが今でもある。

 

社会人になっていくばくか経った今、大学受験から何年たったのかと数えてみたら冷や汗が出たものだ。時が経つのは早いものである。そして思っているよりすっと「最近」の範囲が自分の中で広がっていたことに気が付いた。ほんの少し前まで大学生だったような気がするし、ほんのちょっと前まで受験生だったような気がする。
あのときから何か前に進んだような気はしていないけれど、それでもずいぶんあの頃から年を重ねたものだなぁ。

今年、大学受験をするという従兄弟。ずいぶん年下のように思っていて、お年玉をあげたりとかしているけれど、もうそんなに大きくなったのかと「田舎の親戚のおじさん」のような事を思ってしまうけれど、これからどんどんそういう思いをするようになるんだろう。
「よその子とオクラは育つのが早い」って言いますもんね。