言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

温泉

どんな季節に温泉に入りに行ってもいいが、やはり冬の温泉は格別である。つい先日も毎年恒例となった群馬県草津温泉に行ってきたばかりだが、何度行っても温泉というのは良いものである。

お湯はそれなりに熱い方が好きだ。しかし熱すぎるのは良くない。長く入ることができないから。あでも、水風呂と行ったり来たりする「交互浴」をするなら、やっぱり熱いお湯の方が良い。冷たい水風呂と熱いお湯、3度くらい行き来するとだんだん水風呂に肩までつかることだって容易になるし、その後に湯につかる時の感覚もまた良い。雪の降るような寒い露天風呂に向かう前等にこれができると、そうやすやすと冷えない身体が「できあがる」のである。寒さに体が慣れて熱を脱がさない様に対応してくるとか何とか。それでも流石に露天風呂で湯につからず、ずっと話していたりしてしまえばその限りではないけれど。
それにしても露天風呂と言うやつは、どうにも長居をしてしまいがちだ。何人かで一緒に入ってる時なんかは特に、お湯から出たり入ったりを繰り返しながら長話をしてしまう。夏場であれば出たり入ったりもせずに、ずっと足湯状態にして離していたりする。身体が冷え過ぎるのは良くないとわかっていても、どうにもやってしまう。決してなにか景色が良いとかそういうのではなかったとしても、ただ外にあるというだけで露天風呂と言うのは特別な意味を持っているのかもしれない。あの涼しさ、心地よさは良いものだ。
去年の年末に行った檜枝岐温泉の露天風呂は、豪雪地帯であるが故にものすごい量の雪が露天風呂のすぐそこまで壁のようにせり出していた。当然気温も氷点下でありとても寒かったのだけれど、あの顔から上は冷たくて身体は温かい感覚がより強調されていて良かったし、なんなら雪を触ってわざわざ冷たい思いをしたものだ。風呂で触る雪、風情もあるけれどそれ以上に楽しい。


スーパー銭湯タイプの温泉というのもまた良いものだ。町の銭湯のように気軽に使えるのが良い。普段使いでも旅行でも、なんでも要望にこたえてくれる良さがある。極楽湯のようにチェーン展開している施設の多くで天然の温泉を使っているというのもすごい話である。近くにあったら流石に毎日は使えなくても、回数券なんか買って通ったりするのもいいだろうなぁ、と思う。前橋に良く行っていた頃はホテルのすぐ近くにそういう温泉タイプのスーパー銭湯があって良く通っていたものだ。仕事とはいえまいにちビジネスホテルの風呂ばかり入っているとどうも気持ちがしぼんでくる。トイレと風呂が一緒のあの空間はどうにも好きになれない。シャワーするのには手軽かつ簡単でいいのだが、それでも近くに温泉があるとなればやっぱり行きたくなるものである。温泉宿に泊まるとなれば流石に会社の許可が出ないどころか罪悪感がある物けれど、スーパー銭湯にちょっと寄り道するくらいなら別にいいじゃないかという気持ちが働くのだ。
いつもの風呂に入るのではなく、ちょっと温泉に入るだけでも違うものである。
風呂は命の洗濯だとある人は言った。いつも同じようにするのでなくても良いだろう。たまにはゆっくり温泉につかって、日々の疲れを癒す。そんな日があってもいいだろう。