言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

模型

私はとんでもなく不器用なので、細かい作業にはとんと向かない。なので、模型の類は結構好きなのだけれども、専ら鑑賞する専門となっている。
今の鉄道模型なんてのはすごい。現実そのままにミニチュア世界が再現できる。実際に動かすことだってできる。電源付きのコントローラーを使うことで線路に通電し、列車を走らせることができるのだ。私自身が本格的に手を出したことがないが、私の父が鉄道模型好きなので、動かしたりして遊んだことは幾度となくある。少年時代の私にとってはプラレールの大人版くらいの認識だったが、今思うとなかなか贅沢な遊びである。


父は私と違って不器用ではないようで、家には駅舎と山岳のジオラマがあった。どちらもちゃんと電車を走らせることのできるものだ。山岳に関してはトンネル内の線路のメンテナンスができないということもあり、遊びに駆り出されることはほとんどなかったが、駅舎に関しては幾度となく買り出されることになった。2面3線の立派な作りである。作っているところを一緒に見ていたような記憶はなんとなく覚えているけれど、私が幼すぎたこともあってあまり鮮明には思い出せないのが惜しいところだ。
今でもこのジオラマは一応存在している。ただ埃をかぶっているから使えはしないだろうけれど、たまに思い出して見てみたいという衝動にかられることは今でもある。


私はといえば、鉄道模型には手を出そうとは思っていない。あれは沼のようなものである。一つ一つがお金がかかるのはそうだけれど、一番の理由はスペースだ。突き詰めれば絶対場所が足りなくなる。
もし、もしもだけれど宝くじを一発当てたり、超絶売れっ子作家になったりとかすれば話は別だけれど、そうでもなければ実際に運転させるようなジオラマは作らないだろう。なんかの間違いで、30cm四方くらいに切り取られた小ジオラマを作るようなことはあるかもしれないけれど、まあたぶん作り込んでいるうちに飽きてしまうだろうな、と思う。繊細な調整は苦手である。見る分には詳細な作り込みは大好きだが、作るぶんには絶対こだわれないだろう。
だから、私がブックマークしてたまに眺めている某HPの架空鉄道都市ジオラマ(気になる人は直接聞いてくれれば)の人なんかものすごい作り込み具合で、本当に尊敬する。架空なのに現実みたいだよ。といつもそのクオリティに驚嘆してばかりいる。

だからギリギリ実現できそうな夢としては、PC版の「A列車で行こう」を買う事。あれなら詳細なエッチング技術とかは必要ない。必要なのはPCのスペック。あとはまあ想像力とか。もっとも、あれを買ったら無職になれるだろうね、やり込みすぎて。


私が模型類でそれなりに完成させたことのあるジャンルとしては「ガンプラ」だろう。ガンダムのプラモデルシリーズ。あれは小学生の時に結構作ったものだ。ただこの不器用な私、指を一本ずつ動かせるような繊細な動作ができる部品などの組みたてはものすごい苦手だった。なので、1/100サイズのいわゆるMGではなくてそれよりも小さい1/144ばかり作っていた。手も足も苦手だったということで、まず足のない「ジオング」に流れ、最終的には「ボール」を作った記憶がある。ボールは手も足もない。ただマニピュレーターだけはある。単純な作りをしているので私にはちょうど良かった。
ガンプラはこの手の模型の中では格段に難易度が低い。接着剤もいらないから、結構やり直しも効く。だからそれなりに作れたのだろう。
ただまあ、クオリティはお察しである。墨入れくらいしかまともにやらなかったし、ヤスリがけもまじめにやった記憶がない。それでもそれなりには見えるのだからガンプラという奴はすごいのである。模型という敷居の高いものをあれだけ一般化したのだから。


でもまあ、なんだかんだと言っても模型と言うものは「夢」そのものである。現実で手に入らないものを具現化する、それだけではない魅力がある。
それがきわめて現実的なものであれ、架空のものであったって、私は模型を見ているあの時間が好きである。ただ単に頭の中でいろんなことを考えるのも楽しいけれど、物が目の前にあると想像が捗るというものである。