言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

出張の呪い

出張は、たまにあるから良いのだと思う。たまの出張だって別に遊びに行くわけではないから、旅行をするのとでは大きく違う。まあつまり楽しいものではないということだ。

そんな出張だが、私はわりと最近まで週に3泊ずつくらいのペースで出張をしているような生活をしていた。半年間ずっとである。月曜日出社して、その日のうちに本当は現地入りしたいのだけれど、流石に業務が終わるわけもなく翌日も出社する羽目になることがしばしば。そしてそのまま2時間くらい運転をしたのちに現地入りして、営業の旅に出るわけである。

月間でだいたい15泊くらい。平日家に帰るのは金曜の遅くと泊まりに行けなかった月曜、それに月末月初を合わせてだいたい8日くらいだろうか。土日月が家、あとはホテルが拠点という日々である。

以前から私がビジネスホテル好きな人間であることは度たびこのブログに書いてきたわけであるが、そんな私でも流石にこうも続くと嫌になるものである。そう、嫌になった。とてもそんな生活が嫌になった。

最初のうちは楽しもうとしたこともあった。温泉施設の近くにあるホテルに泊まってみたり、大浴場のあるホテルに泊まってみたり。朝食のおいしいホテルに泊まってみたりもした。だが、だんだんとそんな余裕はなくなってくる。
仕事が追いつかないのだ。月に多い時で4500kmも運転をしているという事は、その時間はPCすら触ることができない。コンビニとか高速のPA・SAなんかに止めてPCを開いて……なんてやってると、目的地になかなかたどり着かない。13時半までに出荷すれば明日の到着便に間に合うという事もあって、その場で入ってきた仕事をその場で行わなければならない。だからまずそれが最優先になる。
後は得意先に渡す資料とかそういうものを作成しなければならない。ところがこれは印刷できるのは基本的に出社時しかないから、出張中か休みの日に作らなくてはならない。上司が同行するような大きな得意先ならばデータを飛ばして印刷して持ってきてもらえるが、それ以外は事前準備が肝要となる。となればホテルで作るしかない。同行の時以外は当然ずっと1人だから、毎日会社への報告がある。日報システムでの報告に1時間はかかる。さらに集計報告や週報、売り上げ見込みや修正、キャンペーンやコンクール、施策の報告……挙げだしたらきりがない。

そう言う事がどんどん重なって時間がないのに、それなのに温泉でゆっくりはできなくなっていったわけである。気分転換すると、それが睡眠時間を削る形で自分に跳ね返ってくる。無論酒など飲めない。飲んで集計すると必ず間違えるから。
そうするうちにまず朝ご飯を食べなくなった。朝ご飯を食べる時間が惜しかった。睡眠も、あとはそれ以外のぼんやりする時間も。失われた時間を取り戻すように、浪費する時間が欲しくなっていた。

基本的に仕事は車に乗って得意先を回るから、その間は全くスマホなどは見ることができない。車内で出来る娯楽というものはもちろんたくさんあるが、しかし運転中である。そう言う意味でスマホ中毒Twitter中毒アニメオタクである私にとって「ちょっとした空き時間」であるはずの運転中にそれらのことが禁じられているのはあまりにも痛い。音楽は流せるから思いっきり車内で歌ったりするけれど、限度がある。1人カラオケに行っても2時間は流石に歌えないし疲れる。それと同じことだ。

朝ご飯を食べなくなって、昼ごはんもほとんで食べなくなった。店に入っているよりも、車を止めて仕事をした延長でぼんやりスマホを眺めているうちに時間が過ぎて行くのである。時には昼寝もした。眠すぎて運転が危なかったから。そうすると何だか腹も減らないわけである。流石にまずいから適当におにぎりを買ったりして食べてはいたけれど、店に入るようなことはなくなった。夜ごはんはさすがに食べたけれど、地方出張なのに飲みにもいかないし、遊びもしない。だって仕事が待っているから。朝起きたら上司から電話がかかってくる。ホテルいに居るのがわかると嫌みを言われる。移動時間が長い分足で稼げとはとよく言われた。理論はわかるが身体がついて行かない。出張なしの都会を回る人とどうして同じ数地方で回れるというのだろう? 

そんなこんなですっかり出張と言うものが嫌いになった。あれだけ好きだったビジネスホテルが、好きではなくなってしまった。

今はもう元に戻って、相変わらずビジネスホテルは大好きだし、たまの遠出は気分転換になって楽しいけれど。
出張地獄が終わって半年経った先月まで私はずっと、この「出張の呪い」から解き放たれることはなかったのだ。せっかく旅行に来ているのに、椅子に座ってぼんやりとスマホを眺めている時に、朝起きて天井を見上げた時に、嫌な思い出が頭の中に蘇ってきてしまっていたのだ。

そんな「出張の呪い」が解けた今だからこそこうして文章に出来るものだけれど、なかなかここまで吹っ切るのには時間がかかったわけで、知らないうちにずいぶん大きな傷を作っていたものだな、と思うこの頃である。

失った時間を取り戻す行為はあまりに辛いし、得られるものが少なすぎるから、せめてもうこれからはできるだけ「失った時間」を創り出さないようにしたいな。