言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

目が悪いことに初めて感謝した日

暗闇の中、無数に輝くサイリウムを指してまさに「光の海」であると言う人がいる。
ライブ会場で目にしたそれは、間違いなく光の海そのものだった。海の色は様々な色をしていた。全面が青の時もあれば、橙色になったり、桜色をして、赤くもなり、エメラルドに包まれ、白く輝き、黄色い輪を描き、それは紫にも、濃いピンク色にもなる。
サイリウムは1本の棒だ。その棒が無数に集まって揺れている光景は、圧巻以外の何物でもない。光の海であり、そして光の花畑であった。
ひとしきりその様子に感動していると、不意にこんな声が聞こえてきた。

眼鏡を外して見る光景も綺麗だぞ、と。

眼鏡をはずして見る。それは考えもしなかったことだ。なぜなら私は視力が良くない。基本的に毎日眼鏡を掛けて過ごしている。眼鏡を外すのは、寝ている時や風呂に入るとき、あとは顔を洗う時くらいだろうか。そう言えば、眼鏡を掛けずに何かを見ようだなんて、このところ思ってもいなかった。

私は物は試しと、恐る恐る眼鏡を外してみた。


そこにはこの世のものとは思えないほどの絶景が広がっていた。

 

目が悪くて良かったと思った事は、今まで一度もなかったと言っていい。
私の目が悪くなり始めたのは、小学校4年生くらいの事。両親揃ってのド近眼&乱視という遺伝的要因もあり、またもともと好きだった読書にこの頃没頭することとなった性もあって、初めて眼鏡を作ることになった歳だ。その頃の私は、あまりにも本を読みすぎるので、1日1冊までにするようにというお達しが出ていたほどだったが、夜になると居間から漏れてくる光を頼りにこっそり読書に励んだものである。やっているのがゲームだったらしこたま怒られて取り上げられるところだが、本だったため両親もあまり強く言えなかったのだろう。怒られた記憶はあれど、あまり強く言われた記憶もない。それだけが原因ではないだろうけれど、きっかけになった事は間違いないだろう。
それでも、眼鏡を毎日ずっと掛けるようになったのは、ここ数年の事である。掛け始めてからかなりの間、眼鏡そのものはかなり苦手だった。黒板の文字が見えないけれど、一番前の席に移動はしたくないので授業中は眼鏡をかけていた。それでもテストの時でさえほとんど掛けずに中学生くらいまでは過ごしていた。陸上部に入っていたが、運動中に眼鏡をすることがどうもしっくりこなくて、本当に授業中くらいしか眼鏡は掛けていなかった。
ちなみにコンタクトレンズはもっと苦手で、1度作ろうとして見た事はあるけれども、両目の着脱に合計4時間掛るほどダメで(眼球に触れられない)挫折している。

今では毎日眼鏡をずっと掛けているから慣れているけれども、それでも不便だと感じることはそれなりにある。例えば雨の日とか、夏だとミストシャワーだとか、水滴がレンズに付着するとめんどくさい。
さすがに嫌いだとかそう言う事はもう今更ないけれど、決して目が悪くて良かったと思った事はなかったわけだ。

特に夜になると、特にまわりが見えにくくなる。かの坂本竜馬も近眼であったと言われているが、やはり夜になると特に物が見にくかったという。物が見にくいのは暗いものだけではない。光るものはかなり通常とは見え方が変わってくる。気になる人は画像検索などをしてみて欲しいが、見え方が通常の光のそれとはまったく違って、ぼやけて大きく見えるのである。眼鏡をかければくっきりと見える星たちも、輪郭が曖昧になり、ぼんやりと大きく、何重にも重なって見えたりもする。焦点が合わないのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、日常生活を送る上ではかなりのハンデとなる。だって、なんでも光がぼやけてしまって、はっきりとは見えなくなってしまうから。


だからこそ、ライブ会場で眼鏡をはずして見た光の海には驚いた。今まで見ていたサイリウムのあの1本ずつの棒の世界はどこにもなく、丸くぼんやりと輝く色とりどりの光が、一面に浮かび上がって揺れているのである。
これはたぶん、目が悪い人にしか見えない世界だと思う。
目を凝らしたり細めたりせず、裸眼で見る拡散してぼんやりと丸く広がった無数の光。あれほど綺麗なものは他にはそうそう見つからないだろう。


目が悪くて不便なことはたくさんある。目が悪い事を呪ったこともある。
でも、この日ばかりは目が悪いことに少しだけ、感謝をしたのである。