言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

水族館

魚は食べるだけでなく、見るのも楽しい。
私は水族館が好きだ。一人でも行く。旅先で美術館に入ることはほとんどないけれど、水族館だったらたぶんかなりの確率で行くと思う。それくらいには好きだ。

意識をしたことがなかったので気がつかなかったが、ここ5年くらいでずいぶん水族館に足を運んでいる。だいたい沼津の「沼津港深海水族館」「あわしまマリンパーク」「伊豆・三津シーパラダイス」のせいなのだけれど、それ以外にも結構水族館に行く機会が増えたのは間違いない。
伊豆・三津シーパラダイス(以下「みとしー」)なんて勢い余って年間パスポートを買ってしまった程だ。決して沼津在住とかではないのに、だ。
まあこの沼津3水族館に関しては、ラブライブ聖地巡礼だとかそういう邪な思惑が絡んでいるのでアレだが、それにしてもここまで水族館って好きだったかな? と思ってしまうわけである。


魚を飼う事はそんなに得意ではない。最近は違うけれども、半年前までは毎週出張だったので家に帰れない=魚の面倒を見れないということで、飼おうという発想にも至らなかった。至れなかった。

昔、それこそ小学生くらいの時には家に金魚がいた。縁日で金魚掬いをやって、1匹も取れなかったのをみて屋台のおじさんがくれた金魚だった。
水槽がなかったので、深さ5cmくらいの謎の入れ物(直径10cmくらいの、丸い、植木鉢の受け皿みたいな何か)に入れて飼っていた。たぶん、屋台の金魚だしそんなに長生きしないだろうと思っていたのだろう。
だが、その金魚は結局3年くらいだったかな、いやもっとだったかもしれないけれど長い事生きた。ずっと謎の入れ物に入れたままだったけれど、ずいぶん長い事家族の一員だった。
水槽、買ってあげればよかった。

話が脱線したが、つまりまあ魚は昔から好きである、ということだ。見るのも、食べるのも。

水槽はいつまでも見ていられる。
大きな視点で、水槽全体を見るのも良し。1匹の魚に視点を移して、その動きをずっと追いかけるのも良し。水槽そのもののレイアウトを楽しむのもまた、良し。隠れている魚を探したり、魚の名前を調べたり、生態を調べて実際の動きと比べても良し。なんでもありだ。
あと泳いでいる魚を見て「あの魚美味そうだな」も個人的にはいいと思っている。イワシが群れになって一斉に動いている様を見て、すごいなと思いながらみんな美味そうだなと思ったっていいのだ。実際そうでなければ、水族館のレストランであんなに海鮮丼を扱っているところが多い訳がないのだ。前述の「みとしー」なんて一見魚メニューなんてないような構えのレストランが入っているが、入ってみれば「さばのトマトスパゲッティ」「アジでペペロンチーノ」「しらすとモロヘイヤのジェノベーゼ」なんだから。


水族館に行けばそれこそいろんな種類の魚がいるし、魚に限らずいろんな生物を展示している事が多いので、結果的に半分動物園みたいになっていることもある。それも楽しい。
例えば「みとしー」には定番のアザラシやアシカ、イルカなどに加えて、フラミンゴやコツメカワウソがいたりする。そういえばオーストラリアはシドニーの水族館なんて、カンガルーとコアラは当たり前のようにいた(ただしコアラは抱っこするとものすごい額のお金をとられ、感ガルはやる気なく足を放り投げて寝ころんでいた)。どこも工夫しているのだな、なんて思うと面白い。
結構水族館もいろいろ工夫をしているわけだ。展示方法とか、ショーの内容とか、展示する魚の種類とか。

そう言う意味で、テーマがある水族館は面白い。
例えば、北海道千歳市の「サケのふるさと 千歳水族館」は名前の通りモロに鮭をメインに据えた造りの水族館で、建物の中から隣を流れる千歳川の川の中が覗けたりとけっこう面白い造りをしている。もちろん違う魚もいるけれど、結構な量が鮭に締められており、見ごたえ抜群である。
あと驚いたのは、鳥取県境港市にある「海とくらしの資料館」である。別名「水のない水族館」と言って、展示されている魚のすべてが剥製なのだ。剥製ばかりを4000点も集めた水族館。これは他に類を見ない。生き物は命がなくなれば色あせてしまうもの。ところがここでは色鮮やかに剥製として蘇っている。


こうやって各地にいろいろ特長のある水族館があると、ますます行ってみたくなってしまうものである。年間パスポートが妙にお得なところもあるので、地元以外のところでも複数回いけそうならば思い切って買ってみようか、とさえ思ってもる。新しく水族館に詩を踏み入れるのもいいし、何度も通ってみるのもいい。どこも同じようでどこも同じではないし、いつも同じようでいつも同じではない。時間を忘れて、水の世界へ。いい気分転換になるものだ。