言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

ご飯の「友」

白米に合うおかずを指して「ご飯の友」と呼ぶことがある。私の場合であれば例えばそれはイカの塩辛であったり、明太子であったり、さらに変わり種で言えば青南蛮の味噌漬けであったりするわけだ。
これだけあればご飯が食べられてしまう、と言うようなものであり、大抵塩気の強いものである。
だから単独で食すことはなく専ら白米を持ってして消費していくわけだから、その消費スピードと言うのは速いようで意外と遅いのである。
流石に偏った食生活になりすぎるので、私と言えど毎日毎食同じものを食べるのはやめているからだ。週7日のうち5日は食べていたりするけれど、それはまあお弁当の梅干しとかそういうものだと思って分かって欲しい。

でもって悩みとは、そんなご飯の友が何かの拍子に、同時に集まってしまった時の処置についてなのである。イカの塩辛や明太子と言うような海産物系のものは、いくら漬物であるとはいえ開封したら1週間くらいで食べきりたいものである。普通なら毎日とは言わずとも高頻度で食べるから問題はないが、2種類3種類とご飯の友が重なるとそのペースがぶれてしまい、変にもてあましてしまう結果となる。
かといって、贅沢に! なんてことで全部同時に食べてもいいが、それはさすがに塩分の取り過ぎであるし、つまみとしてお酒と一緒に食べるとしても限界と言うものはある。
まあこれは嬉しい悲鳴と言う事でもある。納豆なんかは結構日常的に食べるわけだが、本当におかずがない時は毎朝納豆と言うこともある。別に嫌ではないが、続きすぎるとそれはそれで微妙な気持ちになる。そう言った状況からすれば、ご飯の友たちで溢れる状況というのはとても素晴らしい状況なのである。ご飯とおかず。この組み合わせが至高であり、幸せである。身体によくないと思ってもなかなか量を減らせない。白米を食べ進める飛び道具、それがご飯の友である。気をつけないと際限なく食べてしまうから。そうでなくても大盛りとかそういうのは控えてるのに、明太子食べ放題の店に行ってご飯をお代わりしていちゃわけないのだ。

また、最近は旅行に出すぎているので、最近あまりお土産をたくさん買ってくるような事は減ったが、そのぶん、珍味を買ってくるような事は非常に増えている。買ってくるし、ご飯の友好きは知られているのでありがたくもいただいたりする。
西伊豆に行けば鰹の塩辛を買うし、仙台に行く人あれば青南蛮の味噌漬けを頼むし、飛騨に実家のある知り合いは「めしどろぼ漬け」をたまに送ってくれるし、大洗のめんたいパークで直売の明太子を仕入れて来るし、小田原のまいたけ漬けがあったと連絡が来る。
嬉しい。非常に嬉しい。今のところ血圧とかが特に問題ないからいいけれど、そろそろ炭水化物の方は減らさなければならない時が来ている。でも食べたい。制限すれば、解き放たれてしまった時が怖い。だから出来るだけ少しずつバランスを見て、でも気にしすぎず、とりあえず食べて過ごすほかあるまい、と都合よく結論付けているのである。馬鹿なものだ、と10年後の未来の自分が言うだろうな。ごめん。