言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

音楽とかそういう芸術って、難しい

たぶんだけれども、私は楽器演奏というものにはあまり向いていない。絶対的な音感へのこだわりがないからだ。音が別に多少ずれていても気にならない。音を作る、なるほど言葉ではなんとなくわかるし、違いがあるのも分かる。けれどもそれを追求して、そしてまた再現しなくてはならないとなると難しい。文章だって1字1句違わずにまったく同じものをかきなおすのは無理だ。それと同じで、まったく同じようには2度はできない。音楽も文章も生き物みたいなものだとよく言うけれど、そう言うものだと思っている。だからこそ突き詰めて同じように素晴らしいものを恒常的に披露できるようにしようとするわけなんだろうけれども。

例えば吹奏楽部の演奏を聴いていて、上手いな、と感じることはある。上手くないな、というのも分かる。なんとなく不快だな、とか和音がずれているのかな、と推測することはできるわけだ。それに比べて上手だな、というのはわかるわけである。ところがある程度よりうまい人たちのその優劣というのは難しい。個性みたいなもので良いと思ったりするし、思ってたのと違う感じで来たな、とだけ思うこともある。
悪いところを挙げるというのは得てして簡単なものであるはずだが、悪いところがない演奏を二つ聞いてどちらが良いのか何を変えたらよいのかなんてことはどうにもわからないわけである。感覚的になんとなく後者の方が滑らかなのかな? なんて思うくらいのものだ。
ところがまあオーケストラの特集番組なんかを見ると、ものすごく細かい指導をしていたりする。誰も多分音を間違えているわけではないだろう。しているのはブラッシュアップ。指導する人もすごければ聞いて演奏する側もすごい。ドーンじゃなくてバーンだよ! はい! なんて、わかるのかな。はあ、芸術とは実に難しい。

オーケストラに話は限らない。バンドとかでもそうだ。私はあのエフェクターという奴の使い分けすらよくわかっていない。ギターの人が間奏のソロの時によく踏んで音を変えているのを見るけれど、ああいうのってどうやって選んでいるのだろう。この音がいいなこの音は嫌だな、というのがきっとあるのだろう。私はその試行錯誤の末の完成形を聞いているだけだから、その過程はよくわからない。アンプの調整だって、もっとLow上げて、とかそういう微調整がよくわからない。音量をMIXする仕事はやったことがないけれど、たぶんできないだろうなあと思う。こだわりがある人には信じられないだろうし怒られるだろうから。
もしそれが自分の演奏だったら、聞いて調整して、というのは自分の責任において行う事は出来るだろう。低音強調した方が好きだな、とかバランスがおかしいかな、とかそういうことは考える。けれども人の物にけちを付けるのはナンセンスというか恐れ多いというか、おこがましいというか……。自信がないからなんだろうなあ、こういうのってたぶん。