言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

旅程を組む

旅行をするという時、旅程を組むのが一番好きだという人がいる。その気持ちは大いにわかる。あのどこをどう回るか考える時間こそ至高の時間だ、という意見には全力で首を縦に振らせてもらおう。

旅行の計画を考えるのはすごく楽しい。計画することはすなわち旅行そのものを想像することであり、楽しみが広がっていくわけである。無限の可能性だ。その無限の可能性だったものが一気に実現できそうな手の届くところに来る。それが計画を練るという作業によってもたらされるわけである。

私は結構計画は細かく立てる方だ。ただし、細かく、の方向性はおおよそ一般的に考えられるものとは違っていて、ひねくれた方の細かさである、と先に弁解しておきたい。

電車旅の場合、基本的に乗る列車についてはほぼすべて事前に調べてある。それは乗れなかった時も含めてだ。
例えば朝8時に姫路駅に着くとする。朝5時から電車に乗りっぱなしでお腹がすいてくる頃だから、姫路駅のホームの上の「えきそば」を食べる計画だ。この時食事時間は正直言って正確なものはわからないから(食べるスピードもそうだが配膳までの時間も)、次の電車に間に合えば乗るしそうでなければ次の電車にする、という自分の行動が読めるわけである。そう言う時、ここで先に乗った場合とそうでない場合では電車がずれるわけで、私はそういう計算も基本的にしていくのである。
現地で何か新たに見つけて急遽寄り道をするときも、その都度調べ直す。だいたい終電移動とかはしないので、時間に余裕があることが多いので成立する技でもある。事前に数パターン練っておいて、当日にまた変更が加わることもある、そういう旅程の組み方をしているわけである。スマホ時代でなければなかなか骨の折れる作業であろう。あの紙の時刻表というものは結構読み物として好きではあるが、持ち歩いて使う発想は私には薄い。乗換検索と路線図、web時刻表、これで事足りるわけである。

次はどこに出かけようかな、と考える時間はふとした瞬間に訪れる。
それはたまたま記事を見たとか、たまたま食べたいものがあるとか、たまたま人から話を聞いたとか。些細なきっかけと旅行という行為が結び付いて爆発して、こうして私は旅に出るのである。
旅行はとても気軽なものだ。計画を練るのは必要だからではなく、好きだからそうしているだけである。そんなに考えずに、最低限だけ決めてする旅だって何度かしているし、それはそれで面白い。最適解はどこにもなくて、最善だろうなと思って出かける、それだけなのである。