言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

百日紅の赤い花

近頃、百日紅の花をよく見る。あの何とも言えないすべすべの樹皮が特徴的な樹木であるが、この夏に咲く花は意外にも可愛らしく可憐だ。赤とピンクの二種類あるのかどうかわからないが概ねこの二色が多く見られ、夏の青々とした景色にひと花添えてくれる存在である。

 サルスベリ、という響きではあるが、「百日紅」と書くのもなんとも愛らしい。確かに紅色をしたいい色の花が咲くし、百日とまではいかなくても長い期間花が咲いて目を楽しませてくれる。夏のこの酷暑にあって意外と珍しい存在なのかもしれない。

 

 先日たまたま立ち寄る機会のあった「あしかがフラワーパーク」は、季節によって入場料が違うらしい。理由としては、季節によって見られる花の数などが変わるからということだろう。公園のような形で直接植えているものであるから、まさか季節ごとに展示を変えるがごとく、植え替えなど行えるはずもない。であるからこそ、夏は咲いている花が少ないこと個からか、値段が安い。

 藤の花は見ごろを終え、バラは品種によるがもうすでに末期、とすれば百日紅や睡蓮の花が見どころとなるわけである。もちろん趣向を凝らしてあって、例えば夏の昆虫展示なんて言う形でイベントなども行っていたりするから、決して言って損をすることはない。だが藤の季節に千円以上の入場料がかかることを鑑みても、夏300円で入れてしまうのはなかなかにお得だ。

 

特に私は百日紅のあの縮れた赤い花が好きであるから、あの姿を見られるのであれば、とてもうれしいものである。例えばそれは桜のように一面を覆いつくすような華やかなものではない。例えばそれは金木犀のように芳香を発するものでもない。だからこそ良いのである。夏にこうして花を長い期間見せてくれる存在であるが故の価値なのであり、何物にも埋もれない良さがそこにはあると思っている。

 

 百日紅の花には日当たりのいい、そして青々とした空がよく似合う。青と赤のコントラストというやつだ。森の中にあるよりかは、少し開けたところにあるほうが多い気がするのはそのせいだろうか。百日紅は日陰をあまり作ることはできない。しかしながら、日向だからこそ美しさが引き立つわけで、これはこれで夏の花としては正しい在り方なのである。