言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

積乱雲と夏の空

先日、まあそれは函館競馬場とかいう極めて俗な場所にいた時のことだが、芝生広場で座ってぼんやりとしていると、まっすぐに伸びる飛行機雲が目の前を横切っていることに気がついた。真っ青な空に飛行機雲の白さがやけに綺麗に見えて、馬券の払い戻し結果も見ずに思わず見入ってしまったわけである。
その日は思いがけず雲ひとつない好天だった。夏といえば積乱雲、つまり入道雲のようなもくもくとした雲が遠くに見えているのが相場だが、この日はそれもなくただただ青い空が広がっていた。

 

積乱雲と飛行機雲の共演というのも、なかなか美しいものである、とは地上にいる私などは思ってしまうが、飛行機からすれば全くもって逆かもしれないなどと考えるとなるほど面白い。積乱雲は近年流行りのゲリラ豪雨、あるいは古来からの言われ方とすれば夕立をもたらすものであり、突然の豪雨、そして雷などももたらしてくれてしまう輩であるわけだ。そこに飛行機などが突っ込んでいく様はまさに飛んで火に入る夏の虫かと、できればあまり想像したくはないし体験もしたくないものである。

 

とはいえ、夏の空には積乱雲が欠かせない。
何故と言われても困るが、景色として刷り込まれてしまっているので、もくもくと盛り上がる様を見れば夏が来たと思うし、なければ何か物足りないような気がしてしまうわけである。梅雨が明けて積乱雲を見れば本当はまた雨でも降るのかと思った方がいいのかもしれないが「夏だなあ」などとのんきに部屋の中から眺めているぶんにはそれでいいのだ。

季節が変われば、夏の後は秋の空である。秋の空は変わりやすい。正直梅雨よりも秋雨の方が降水量が多いとさえ言われているのも頷ける程、すぐに雨が降る雲がやってくるイメージさえある。


空の色は秋の方が美しい。冬の朝はもっと青がはっきりとしていて美しい。空気中の水蒸気が少なくなるほどに上空で散乱する青い光が見えやすくなるかららしい。
なるほどだから空の青が美しいわけだ。
しかしながら、私は夏の空が嫌いではないし、むしろ好きだ。

 

青い空と白い雲のコントラストが映えるのは、空の青さよりも、積乱雲の白さが夏を彩ってくれているからなのかもしれない。

 

夏という概念は好きだが、残念ながら夏に付随する「暑さ」「熱さ」「湿気」「日差し」などはそんなに好きではないのはご愛嬌である。
白と青のコントラストを楽しむ上でもできるだけ快適に過ごしたいものだ。本音を言えば。