言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

旅館の朝ご飯

旅館の朝ご飯というものには、独特の趣がある。朝ご飯は(起きていれば)だいたい毎日は食べているものの、それほど量は食べていないが、旅館の朝ご飯ともなれば別で、ついついたくさん食べてしまう魅力がそこにはある。
旅館の夕飯の事を思い返してみよう。少々値は張るものの、せっかくだからと豪華絢爛で品数も多くボリュームもある素敵な食事が出てくる旅館へ行った場合、気づけばお腹一杯を通り越して苦しくなるまで食べてしまいがちな私だが、それでも朝食ともなれば不思議と空腹になりこれまた満腹になるまで食べられてしまう。そういうものである。ご飯とみそ汁、焼き魚、卵、漬物、ちょっとした煮物などが付いていたりするわけだが、それを余すことなく平らげて、御櫃を空にする勢いでご飯をお代わりし、卵か納豆でもあればそれだけで一杯平らげてしまうようなとんでもない勢いで、朝も八時前からもりもりと食べる。食べ終われば温かいお茶で一服し、温泉旅館であれば朝風呂と洒落込むかゆっくりするかを考える。まさに至福の時だ。
日常のあわただしい朝とは違い、ゆったりとした時が流れていると錯覚するせいなのかもしれないが、この「旅館の朝ご飯」の魅力に取りつかれているが故の事だと私は思っている。

 

先日も、静岡県松崎町にある雲見温泉という温泉街のとある旅館に宿泊した際は、御櫃が空になるまでご飯をお代わりをした。アジの干物や漬物、イカの沖漬なども去ることながら、「カメノテ」なるものの味噌汁がそれはそれは良い出汁となっていて、これもまたおかずの一品となっていたこともあり、ものすごい勢いでお代わりをしたのを覚えている。ちなみに「カメノテ」とは海岸の岩場にへばりついている亀の手のような形をしたフジツボの仲間なのだが、殻の部分が石灰質で出来ているため、さながら味噌汁に岩が入っているかのようだったので見た時は驚いた。見て驚き、一口すすって岩から出汁が出ているのかと二度驚き、良くみたらカメノテだったわけである。まあ後で調べたら岩のようになってる殻の部分は取り除くことが多いらしいので、こんな体験をする人はあまりいないだろうが、なかなかに衝撃的な体験だったわけである。

 

たかが旅館の朝ご飯ではあるが、それだけに侮れないものであることを再確認したのである。