言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

檜枝岐村の話

 季節外れだが、雪の降っていた時期の話である。

 

 昨年末、いろいろあってとある雪深い山村へと足を運ぶ機会があった。

 福島県・檜枝岐(ひのえまた)村。特別豪雪地帯に指定されているらしく、とにかく雪、雪、雪の一面真っ白。車を一日置いておくと天井がつぶれてしまう積雪量だ。

 気温もなかなかに強烈で、その日は最高気温がマイナス10度との予報だった(実際にはさらに低いマイナス11度というクレイジーっぷり)。初めはとにかく寒いのだが、そのうち感覚が麻痺してきて、よくわからなくなる。雪の中に居るうちはすべてが凍っているので脚先の寒さにも気を使う事ができるが、一度建物の中に入って残雪が溶けるともう靴が大惨事。次に履く時には一瞬で足先を氷点下へと誘う凶器と化している。

 特に深い理由はないのだが、どうしても行ってみたいと言う旅仲間の一声により、この秘境に足を踏み入れることとなったのだった。やっぱり、秘境って聞くとなんだか気になるじゃない。

 

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 村の中はとにかく、雪。

 建物が埋もれているのではないかと錯覚するほどの、路肩にうずたかく積み上げられた雪。

 それでまた雪が音を吸収するのか、来るまでも通らなければまったくの無音である。

「しんしんと雪の降り積もる音だけがする」という文学的な表現があるが、まさのそれである。しんしんと、という表現が正しいかわからないが、ともかく何もかも降りしきりそして積もっていく雪がすべてなのだ。

 

 寒いからこそ、村の中にある温泉はオアシスである。積もった雪を眺めながらが入る露天風呂がそれはもう格別だ。芯まで温まってしまえばしばらくは雪中行軍も耐えられというものである。ただしこの場合も濡れた靴と靴下は要注意であることには変わりない。

 宿泊した宿の設備もとてもよく、食事も格別だった。特に岩魚のお造りは、食べた瞬間に泣きそうになるくらい美味かった。また食べたい。

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岩魚のお造り 右にあるのが岩魚の卵

 

 朝は除雪車のエンジン音で目が覚めた。

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    あれは役場の職員がやっているのか、民間委託しているのかわからないが、この仕事は過酷だろうなどと思いを巡らせる。寝ていた7時間ほどで膝下までゆうに埋まるほどの雪が降っていた。そのためか除雪車はひっきりなしに往復し、宿の玄関などもまとめて除雪していく。むろん除雪していくそばから雪は降っているので、しばらくするとまた雪をかきにやってくる。雪が降る間は、ずっと繰り返しだろう。頭が下がる。

 村の住民も、気がつくと多くの人が外に出ていて雪かきに追われている。

 雪かきは、村のインフラ維持活動に必須なのだ。交通手段が車である村の道路は除雪しなければまともに通る事は出来ないし、押し固められた雪はスリップの一大原因だ。

 そう言う意味では、除雪は当然であるし、これが豪雪地帯に生活するということなのだろう。自然が第一。自然には逆らえない。

 

 思えば村へと向かうのも雪との戦いの連続だった。檜枝岐村へのアクセス方法としては、国道352号線を車で走っていくわけなのだが、この道が既に雪深いため、後輪にチェーンを巻いて進まねばならない上に、速度はだいたい30キロほどしか出すことができないため、距離以上に到着時間がどんどんと遅くなる。

 さらに積もった雪までもが風で舞い上がり、地吹雪のような現象に見舞われることさえあった。私は運転していないのだが、運転者には頭が下がる思いである。

 村に住む人にとっては、これはもはや当たり前の日常生活の一部であろうと想像すると、何とも言えない気持ちになる。村役場の公式ツイッターか何かで「屋根のないところに一日車を放置している方は、屋根がつぶれます」と書かれていたが、本当だろう。

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村役場

 雪はすごい。雪はある意味で生活のすべてだ。せめてこの雪が食べたらエネルギーに変換されるとか、そう言う事でもあればまた別なのだろうが、おそらくかき氷くらいにしかならない。

 そんなものが延々と降ってくるのである。

 もうそれは、想像の範囲外だ。

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神社の入り口

 私は、この村にまた来たいと思った。もちろん、雪道の運転が自分でできるようになったら、の話だが。