言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

サンライズ瀬戸と私

 それは私が高校二年生の冬の出来事だった。

 

 私にはその時好きな人がいた。同じ部活の子で、同じクラスの女の子。座席が前後だった事もあったり、共通の話題が増えたりとここ数カ月でぐっと距離が縮まっているように感じていた。

 クリスマスの二日前。私は冬休み前最後の授業と部活が終わり、自宅でくつろいでいた。そんな時に、彼女から急に電話がかかってきた。

「告白された、どうしよう」

とっさには、乾いた笑いしか出てこなかった。早い話が別の奴に先を越されたのである。

 彼女はとても思い悩んでいる様子だった。今までに誰とも付き合った事はないし、そうなることも考えた事がなかった。私はどうすればいいのかというような趣旨の話を、私にすがるように相談をしてきたのである。

 よりによって私に、である。

 仲も良かったし、信頼されていたのだろう。それは素直に嬉しいし、頼られるのは良い気分だ。これは大きな好運であるし、同時に大きな不運でもあったという事だ。

 要するに私は、好きな人張本人から、違う人との恋愛相談を受けるという、奇特な体験をしたのである。事実は小説より奇なり。残酷な運命なのだ。

 未熟で馬鹿な私にはどうすることもできず、ずるずると、相談を聞き続けるしかなかった。

 

 

 年が明けて、1月。正月に祖父母に会いに行って、そのまま私は父と二人で高知へ旅行をする予定だった。

サンライズ瀬戸のチケットが取れた」

 父は誇らしげに、私に切符を見せてくれた。B寝台だっただろうか。個室の寝台を確保したとのことで、寝台特急そのものが初めてだった私はとても楽しみにしていた。

 ところがその当日、例の彼女から「告白された相手と付き合うことにした」という報告が着たものだからやりきれない。

 東京駅に22時頃に到着して、サンライズ瀬戸に乗り込む。サンライズ出雲と瀬戸が連結した7両ずつの14両編成の列車。

 父は酒とつまみを持って、私の方の部屋に来た。上機嫌だった。私はどんな顔をしていただろう? 楽しそうな顔ができていたかよく思い出せない。ただ気持ちを紛らわそうとして、社内の写真をしきりに撮っていた事は覚えている。

 30分くらいで父は自分の個室へと帰って言った。

 列車はいつの間にか都会の喧騒を抜けて、小田原駅付近へと差し掛かっていた。綺麗な街の夜景から、何も見えない暗闇の方が多くなってきた。

 私はぼんやりと眺めながら、携帯に送られてきたメールを見ていた。

 彼女からのメールには、お礼が帰ってきていた。相談に乗ってくれてありがとう、その文字だけで胸が痛くなる。我慢できなくなりそうで、大丈夫だよ、気にしないで、という取り繕う言葉も打てなくなる。

――今日、なんか変だね。どうしたの? たくさん悩み聞いてもらったし、私も聞くよ。

 思わず彼女に電話をかけようとして、すんでのところで留まった。

 小田原を過ぎてから、熱海、さらには三島まではトンネルの多い区間が続く。電波が長くは続かないし、途中で切れてしまうだろう。沼津には23時半過ぎあたりまで到着しない。それからでは夜中になってしまう。

 気がつくと私はメールを送っていた。君の事が好きで悩んでいたという趣旨の事を送ってしまった。全くの馬鹿である。今更どうしようもない上に、間違えなく彼女を傷つけるという事を理解していながら、送ったのである。

 完全にこれは私のエゴだった。

 

 その夜、彼女から返事は帰ってこなかった。

 

 私はベッドの上で横になった。眠れなかった。サンライズは時折駅に停車する。客扱いをしなくても、停車して行き違いや追い越しを待ったりする。終電後の誰もいないホーム。昼間は多くの観光客で溢れていたであろう駅も、今は明かりがともっているだけで客は誰もいない。

 不思議な光景だった。電車の中で、寝台の個室で、携帯を握りしめながらそれを見ている私が一番のイレギュラーなのだ。電車と、それに関わる人だけが見ることのできる景色。私は駅に泊まるたびに浅いまどろみから醒め、ホームを眺めた。

 

 サンライズ岡山駅サンライズ瀬戸と、出雲がそれぞれの編成に分割される。そしてそれぞれの行き先に向かって走り出すのだ。

 夜になればまた、岡山駅で合流して、連結して東京駅を目指す。毎日の繰り返しだ。

 私のサンライズ瀬戸の切符は片道切符。帰りは高知空港から飛行機で帰る予定だ。もうここには戻ってこない。別れたまま、そのままだ。

 サンライズ瀬戸に乗った時点で出雲には行けない。それは当り前のことだ。だって、元々の行き先が違うのだから。

 電車は朝焼けの中瀬戸大橋を渡ってゆく。島々の向こうに朝日が見えた。終わらないトンネルのような夜はもう、明けたのだ。

 日の出の名前を冠する寝台列車サンライズ瀬戸と私の思い出は、人生と運命の妙に挟まれて、存在している。

 

    この日の夕方に、その彼女から電話がかかってきたのは、また別の物語。