言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

ファミレス豪遊

ファミレスって大抵メニューが豊富なので、今日はこれを食べようというのがきっちりと決まっていないときほど何を食べるか悩むものである。学生時代は財布事情も相まって、悩んで悩んで悩みぬいてこれ、と決めて食べたりしたものだ。好みと値段を鑑みて、結局いつも似たようなものを食べることになるんだけれど、そうすればするほど普段は手の届かないものにあこがれのような感情和抱いたりするものである。

大人になって、普通に働くようになってからふと思ったのだけれど、もうそこまできっちり値段を見て小銭の計算をしなくてもよいのである。もちろん財布のひもを締めることは大切なんだけれど、それでも多少値が張る食べ方をしてもいいんじゃなかろうか。
たまにはファミレスで豪遊してもいいよね?

ということで、仕事のお昼休みにファミレスに行くというのをやってみたのだけれど、目論見は失敗に終わってしまった。ファミレスのランチセットって普通に安い。普通に頼んでも安いのにセットだと余計安い。やられた。ワンコインランチで普通に満足して帰ると、豪遊どころか普通に節約してしまっているではないか。
よく考えたら、平日12時とかそういった時間にファミレスって入ったことがあまりなかったかもしれない。学生がファミレスに行くのは午後か土日だもんだ。

それならば、と今度は夜にファミレスに出かけてみる。
メニューを眺める。当たり前だが、主食になるようなものや主菜になるようなものは、ちゃんとした一食分になるようなボリュームがある。だから、例えばピザとパスタを両方とか食べられる人は別だけれど、私はそうではないので、豪遊するならサイドメニュー的なものをたくさん頼む必要があるのだ。
ところがまあお腹の限界というか、限度があるわけで。メイン1つにサイドメニュー3つとか頼んだらもうそれでお腹いっぱいである。ファミレスの食事は安くて一つでもお腹いっぱいになるように作られているから当たり前だ。

豪遊は難しい。豪遊しようと思ったらお腹のほうが持たないだろう。
例外を挙げるとすれば、お酒くらいだろうか。飲み会を開催するつもりでいろいろ頼んでお酒を飲めば、そこそこ値が張るものである。ただまあそれでも十分安い。チェーンの居酒屋とかで適当に頼んでも3千円とか行くことを考えれば十分に、十二分に安いと言えるだろう。単価を上げようにもたかが知れている。追加トッピングの類だってそんなに高くないし、単価を上げるのは難しい。高いものばかり頼んで自分が本当に頼みたかったものを頼まずに帰るのもそれはそれで本末転倒だと思うし。


ただし思いがけない伏兵もいる。単価というよりは、全体にかかわるものだ。
それは「深夜料金」。
いやはやそういうのもあるのか。でもまあそういうので無駄に割増料金を取られるのはちょっと趣旨が違うよね。単価を上げて贅沢がしたいだけなので、別に割増料金が取られたいわけじゃない。ファミレスの売り上げに貢献しても仕方がないのだ。

梅雨が明けたらいつの間にか8月になっていた

梅雨が明けたら急に暑くなった。実に夏である。夏。やっぱり暑くなくちゃね、とは思うものの、一気に暑くなるのもそれはそれで困る。まあわがままと言えばその通りなんだろうけれど、なんというかこう、緩やかに変化してくれたらもっと楽なのにね、とは思うわけである。身体がついていかない。汗をかきすぎたときほど、涼しい場所に入ると急に体が冷える。汗が引いていくと熱を奪うというのは本当なんだな、と満員電車で強風の冷房に当たっていると思うわけである。あっという間にに冷えていく。不思議なもんだ。人と人と密着しているところは不快なくらい暑いのに、そうでないところはスッカスカなのかあっという間に冷える。お腹とか、それも表面だけが冷たくなっている。汗をかく時期になってから、電車の中でお腹が痛くなることが増えたけれど、間違いなく汗が気化するときに熱を奪っているせいだ。

とはいえ、最近の世の中、屋内にいればそこそこ快適である。だからこそたまの屋外が非情に暑く感じるというのもあるだろうけれど、デスクワーカーにとって外出が少ないのはこういう時非常にありがたい。駅まで少し歩いて、あとは地下街を抜けていけばいいので、空調が聞いている時間が長いのも良いものだ。あまり明るい時間には帰ることはないし。もっと暑くなると、暗くなっても暑いかもしれないけれどもどうなるだろうか。


ところで今年は梅雨が明けたのが遅かったので、あっという間に8月になってしまった感じがある。これでも平年比で1週間くらい遅いだけだそうで、いかに去年が異常だったかがはっきりとわかるだろう。昨年の関東の梅雨明けは6月の29日である。7月ですらない。7月は酷暑だった。東向きの私の部屋は朝になるとその強烈な日差しが照らしてくるので、朝は猛烈に暑くなった。カーテンが結構ガバガバなので(遮光とかではないしなんなら真ん中のマグネットがいかれてて基本的にちゃんと閉じない)日を浴びて強制起床となることも結構あった。おかげで休みの日を涼しい日中全部昼寝してしまうとか、そんな使い方をしてしまっていたりもした。暑かったのが快適になると、急にまた眠くなるものである。必要以上にぐっすり寝てしまって、今日は何もしなかったな、なんて日が結構あった。
今年は7月ずっとぐずついた天気だったイメージだった。前半は暑くないどころか寒い日もあったくらいだ。雨の降らない涼しい日は結構快適でもあったけれど、それもいつの間にかなくなり、湿度の高い蒸し暑い日が増えた。そうしたら梅雨が明けて、すぐに8月になった。あっという間感がすごい。

8月といえば学生は夏休みだろう。私が通勤に使っている電車はそれはもう激しい混雑なので、学生が夏休みに入って乗らなくなるならきっと空いてくるのだろうと思っていたが、混雑具合はどうも変わった様子がない。むしろラッシュの時間帯にスーツケースで乗り込む羽目になっていて大変そうな旅行客とかが増えていて、それはそれでカオスである。国内旅行とかだと、到着したときにちょうどお昼になるようにと設定しているんだろうな。普通の休みの日ならラッシュはないのに、夏休みといえども社会人は平日である。通勤ラッシュはいつも通りに起こり、そこに夏休み家族とのギャップが生まれているのだ。結局通勤時間の混雑度合いが変わらないのでがっかりである。

今年はお盆の時期は出勤なので、私の夏休みは少し遅い時期にやってくる。お盆は多少世の中がすいているだろうか? 快適に通勤したい。そして普通に人が働いているときに休む、そのほうがいろいろ効率がいい気がする。まずは暑い夏を、8月を乗り切らないと。

 

レモンの水


ラーメンを食べるときに、あるいは食べ終わった後の水ってすごく美味しく感じる。個人的にはあれが水じゃなくてお茶とかでもおいしいと感じるのでアレだけれど、逆に言うとお茶と水が同列に普通に要られるのだから、水の価値(?)がちゃんと上がっているんだなと思うわけだ。美味いよね、水。しょっぱいものを食べた後や、暑くなった時なんかは特に。
そうだからこそラーメン屋で飲む水が一番おいしいとかそういった話まであるくらいだ、世の中には。
それはそうと、ラーメン屋の水といえば、レモン水である。普通の水とかミネラルウォーター的なものを出す場合も普通にあるけれど、結構な頻度でピッチャーの中にレモンが入れられているのである。つまりは水ではなくレモン水なのだ。
とはいっても別に味がすごくはっきりレモンなわけではなくて、ほんのりと香る程度なのがほとんどだろう。

言うまでもないが、おしゃれなお店で出てくるフルーツのたくさん入ったお水ではなく、あくまでラーメン屋の水である。
ラーメン屋以外で出てくる、レモンの入っているような水のその多くは「おしゃれアイテム」として置かれていることが多い気がする。水ではなく、フルーツの入ったお水はデトックス効果があるんですよ、的な。まあレモンに限らないけれど、味のうっすらついた水って感じだけれど、まあこういうのってたいていサービスで提供されるものだからありがたくもらうけどね。美味しいかといわれるとよくわからない。甘くはないので、果糖とかそういった糖分を摂るよりいいのかな、と思う時もあるけれど、高いお金を払って飲むのには抵抗があるかなくらいには思っている。


それよりもなによりも。

昔ラーメン屋でレモン入りの水を始めて飲んだ時、何にも考えず普通の水だと思って飲んだらほんのりレモンの香りがしてすごく驚いたのを覚えている。美味しかったとかそういうことではない。洗剤か何かの洗い残しなんじゃないかと思ったからだ。
その店は、水がセルフサービスではなかったのだ。水をついでもらって出してもらうタイプの店だったので、余計にレモンが入っているとは思いもしなかったのだ。えっ、なにこれ、ほんのり酸っぱいにおいするけど何? 味もちょっと酸っぱい……? なんだこれ、水じゃないのか? みたいな感じ。結構挙動不審だったと思う。
しかもその店、以前に行ったときは普通の水だったのが余計に思い込みに拍車をかけた。いつの間にかレモンを入れるようになったのだ。何度か店に足を運ぶうちに、水のピッチャーにレモンが入っているのを見て疑いが晴れた(勝手に疑っただけだが)のだけれど、ずいぶん訝しんだものだった。普通に水でもいいのに、とは思うけれど、まあなんかさわやかだし慣れてしまえばそれはそれでいいのかな、とは思う。

ところで、ラーメン屋で出てくる水はたいていピッチャーから注がれるものであるけれど、ごく稀に例外パターンもある。その中でも驚いたのは、ミネラルウォーターの瓶が出てきたときだ。
いやまあ元々そういう店なのだ。元イタリアンの店ということで注文も内装もイタリアンだし、だからその中のインテリアと同じく調和するようにミネラルウォーターとして瓶で提供されているわけだ。ただしメニューはちゃんとラーメンである。多少イタリアナイズされているけれど、ラーメンはラーメンである。わりと上品だけど。
フレンチな感じにアレンジされたラーメンを食べたことがあったけれど、その店では水が普通に出てきたもんだ(ただしオランジーナ激押しではあった)。内装も極めて普通のラーメン屋だったし、多少おしゃれだったけれど水は普通だった。こうも違うものか。

水1つを取っても、違いがあって面白いものである。

 

ゆで卵、味ついてて美味しいです


味付きのゆで卵。
殻をむいてから塩を付けるのではなく、そのままむけば味がついているのだからすごい。浸透圧を利用しているということでちゃんと調べてみると、セブンにそのゆで卵を納入しているイセデリカという業者の記事……がなぜか伯方の塩のHPに載っていた(使っている塩が伯方の塩だかららしい)。ゆで卵を冷たい飽和食塩水に漬け込むと浸透圧によって穴から塩気が入るんだそうな。家でも似たようなものが作れそうなので今度やってみたいと思うけど、こういうのって再現しようとするとうまくいかないんだよな。企業努力ってすごい。
ジャンルが違うけれど、煮卵だってなんかこれ! というものがうまく作れない。外で食べる、ラーメンの上に乗っているような煮卵がすごくおいしいのに。

それでともかく、私はあの味付きのゆで卵をよく食べるわけである。もともとラーメンには煮卵をトッピングする派である(ので味のついた卵そのものが好きである)ことと、よく泊まるビジネスホテルの朝食によく出てくるから、というのが主な理由なのだけれど、あると必ず食べてしまう不思議な魅力というか、習慣性があるなと思っている。
おにぎりとかご飯ものを取って、味噌汁なんかをよそって、サラダを取り、そしておかずと一緒に並ぶゆで卵を取る。どうせ殻をむくので、適当に取って置いておけるのも地味だけど嬉しい。野菜食べて炭水化物食べて、じゃあ後はタンパク質とかそういうのでしょう。それならゆで卵だよね。そういうこと。

スクランブルエッグの類も好きではあるのだけれど、基本的に朝ご飯では洋食より和食派なので、なんとなくではあるけれど和食に寄っている感じのある、ゆで卵が好きなのである。
ゆで卵ってそのままだと和か洋かわからない雰囲気はあるけれど、味付きの卵になった瞬間に和食のほうに寄ってくる感じがするの、ちょっとおもしろい。これが目玉焼きだと、醤油をかければすごく和に寄ってくるけれど、塩だけだとどうだろう。ちょっと寄ってくるかもしれないけれど、ベーコンエッグ感はまだまとっていると思う。ゆで卵はそもそも醤油はつけるイメージないし。


味付きのゆで卵はコンビニでもよく販売されているので、お昼ご飯の時なんかに買ったりもする。栄養が足りないな、偏っているな、というときの免罪符的に買っているというのは一応の建前で、実際は普通に好きで食べたくて買っている。1品おかずを足すには重いけれど、何か食べ応えのあるものが欲しい。そんな時にコンビニで手に取ってしまうのが味付きのゆで卵である。

この間、お弁当と一緒に購入して、仕事場の自分の席で食べようとしたのだけれど、殻をむくのにひと悶着あった。そもそも机が長机だったりするので、普通にほかの人が座っているところに対してガンガン卵を打ち付けてからにひびを入れるのはためらわれた。でもまあ向かいに座っている人が優しかったので、遠慮しながら角にコンコンとゆで卵を打ち付けたのだけれど、うっかりしていた、今の机は角がゴムで覆われた柔らかいタイプのものだったのだ。
まあ割れない。だって角がないんだもの。衝撃は吸収されてしまうよね。

仕方なく立ち上がって、戸棚に1発、打ち付けたらすぐにひびが入る。やっぱり固い角じゃないとダメなんだな。それにしても歩いて棚まで行ってゆで卵の殻を割る。なんともシュールな光景だ。

「そんなにゆで卵、好きなんですか」

いいじゃないか、好きだって。

 

見えない花火


駅を降りたら、なんだかわからないが雷みたいな大きな音がした。破裂音。ああなるほど花火の音である。夏だから花火大会がどこかで開かれていることもあろう。そんなに珍しいことでもない。だけど結構大きな音がするもんで、いつもよく開かれている場所よりももっと近くでやっているな、ということだけがよくわかった。
それならばまあ見えたりするんじゃないかと思ってしまうが、実際は全く見ることができない。感知できるのは音だけである。光の端っこだってよくわからない。ただ何となく空が明るくなっているような気がするほうに顔を向けてみて、ああもしかして今音と一緒に光ったよね、なんて考えているのである。
マンションやビルなんかは音を反射させるのか、駅のような場所にいるときは本当にだいたいの方角しかわからない。ああこっちのほうで花火をやっているな? と顔を向けてみても、その次の瞬間には頭の後ろのほうから音がするなんてこともある。そうしてもうよくわからなくなる。
人間の感覚なんて結構適当だ。右か左かどちらから音が聞こえたかくらいなら何となく判別も付くんだけれど、ちょうど真後ろとかそういう時はまあ方角なんてわからないもんだ。花火に限ったことではないけれど。


とにかくどこかで花火はやっている。どこかで打ちあがっている。音がする。音しかしない。音だけする。音結構でかいんだよ。でかいからすごく気になるんだ。気になるけど見えないの。なんだそれ。知らないふりするには音がでかすぎるんだ。ほんと。

 

昔、家から見える花火があった。いや正確に言うと、家からでも花火が見れた、と言うべきだろう。向かいに建っていた工場に隠れるようにして花火が見えたのだ。さすがに全部ではなかったけれども、一部分、半分くらいは見ることができた。花火は音がするし少しは見えるものだった。
やがて工場が壊されてマンションが建つことになった。工場が解体されて更地になったタイミングで花火大会が開催されていて、その年だけは全部花火を見ることができた。遠くはあったけれどちゃんと丸く打ちあがった花火を見ることができた。

それが家から見た最後の花火になった。マンションができてからはもう音しか聞こえない。工場よりもマンションのほうがずっと大きいからだ。少し曇っていればそれに光が反射するので、あああっちのほうで花火打ちあがってるな、とはわかるけれども、それももう微妙なところだ。花火は音だけ。光は見えない。

花火大会か。行って見れば、それでいいんだろうけどな。

 

朝風呂

朝風呂。それはとても優雅な行為である。少なくとも私にとっては。基本的にシャワーも含めて夜に風呂へ入る習慣を持っているため、寝て起きた朝に入浴する習慣はほとんどない。
これが毎朝必ずシャワーを浴びるとか、そういう習慣の人なら違うだろう。入浴は生活習慣。極めて日常的な行為。だから朝入るのも当たり前の行為となる。

私が朝風呂をするパターンは大きく分けて2パターンある。
1つは、前日に理由があって入浴できなかったパターンである。飲み会から帰ってきたらもう夜中で、動く気力もなく眠気が勝ってしまったパターンなどが該当する。これをやるのは翌日が休みの時だけだ。翌日が仕事の時は無理やりでも夜のうちに入る。朝いつもより早く起きて入浴する時間を作る方が、ハードルが高いと感じているからだ。
朝風呂習慣がないので、朝の入浴というのは時間の計算外なのである。そのために早く起きるくらいならさっさと寝る前に入ってしまうだろう。寝入るより起きるほうがずっと難しい。
出張中、ホテルの部屋でどうも仕事のやる気が出ず、かといって仕事にならないので酒も飲みたくなく。風呂に入って切り替えたらいいのにただぼんやりと過ごしていつの間にか寝てしまって、朝慌てて風呂に入るとかそういうことは確かにあったけれど、まあそれはどちらかというとイレギュラーなパターンだ。風呂とか以前に何かをするやる気が欠落してしまったがゆえの入浴の先送りだ。後にも先にもあの出張地獄期間くらいである。そんなメンタルだったのは。
あと、朝風呂は一瞬シャキッとするのだけれど、そのあと猛烈に眠くなる。仕事前に入浴してしまうのは私にとってはそういう意味で悪手であった。今は違うけれど、当時は車で仕事をしていたので、眠気を誘発するものとの相性は基本的に悪かった。
今でもまあ朝からお風呂に入ると猛烈に眠くなる瞬間がやってくる。風呂あがりすぐではなく、そのあとぼーっと座ったりしているときが一番ダメ。そのまま横になるともっとダメ。顔を洗ってさっさと出かけようなんて思っても体が動かない。入浴って体力使うんだな、ってそんなときほど思うわけである。


私が朝風呂をするもう1つのパターンは、温泉旅館や近くに温泉施設のある場所に泊まった時なのだが、この場合は眠気と「戦う」必要がない。朝ご飯前の早朝に入る温泉もいいし、朝ご飯後に入る温泉もいい。チェックアウトの時間までゆっくりぼんやり過ごすことができるのも温泉旅行のいいところだ。
近くに温泉施設があるとかそういう場合もいい。この場合は時間を気にすることなくもっとゆっくり過ごせるだろう。朝ごはんを軽くゆっくり食べた後、温泉へ行ってゆっくりのんびり過ごし、そのままついでにお昼ご飯を食べたりして。優雅な一日である。眠くなったら昼寝をすればいい。寝すぎると一日棒に振るような感じはあるけれど、休日とは休むためにあるんだなと再確認するのにはちょうどいいものだ。

優雅な朝風呂。それがいい。あんまりせわしないような、せせこましいような、そんな朝風呂はしたくないな。

 

いつの間にか海の日が終わっていた


海の日というともう勝手なイメージで20日とか21日とかそういうイメージが強い。実際2003年までは20日だったわけだし、まああながち間違いでもないだろう。それが今年は15日である。15日に海の日。なんかまだ夏っぽくもないのにもう海の日だなんて言われると調子がくるってしまう。今日くらいの日が海の日じゃないのか? なんて思ってしまう。

気になったので数年分調べてみたけれど、2016年の海の日が18日だった。17、16、15(今年)ときて来年は23日。去年はもうこの時期には苛烈なぐらいに暑かったから気にならなっかっただけで、実際最近は結構早めの日取りだったのだ。来年は23日だけれど、これは暦とかではなくて純粋にオリンピックの開会式の前日だからとかそういう理由らしい。そうかもうオリンピックもあと1年なのか。


小学生の時なんかは「海の日が来ると夏休みが来る」と思っていた。実際そんな感じだったと思う。海の日の前日くらいが夏休み前最後の登校日。荷物をたくさん持って帰ってくる日だ。
夏休みの宿題といえば植物の観察日記だけれど、アサガオとかオクラとかホウセンカとか鉢植えごと持って帰ってくるのって結構大変だよね、と今になっても思う。入れ物がいくらプラスチックとはいえ、土は純粋に思い。土だぜ土。みっちり詰まってるじゃないか。
計画的に持って帰るタイプではなかったとはいえ、鉢植えを持って帰るというのは結構大変な作業である。一回バケツに入れた稲だったこともあって、ものすごい重かったことがある。バケツにみっちり土が詰まっていたらそりゃまあ重いよねと。家で育てて夏を超え、学校に持っていったら全部鳥についばまれてしまった悲しい稲である。なんで鳥対策してないんだ。米粒から育てて重い思いをして持ち帰って、あげく鳥の餌とは。

 

海の日が過ぎれば夏休みが来るというようなことはもうないし、なんなら夏休み≒お盆の夏季休暇くらいだろう。今年はいろいろあってそれもまとまって取れなそうだ。まあ夏季休暇として休める4日を自由に振り分けられるのは悪い話ではないと思うけれど。
海の日はすっかり区切りの日ではなくなってしまった。私にとってもそうだし、もしかしたら世の中の小学生とかも最近は夏休みが少ないし、海の日は区切りでも何でもない普通の祝日になっているのかもしれない。
季節の移り変わりと、暦と、実際の生活とはだんだんずれていくもんなんだろう。そしてそれが新しい感覚というか常識のようになっていく。私が勝手に海の日くらいで夏休みになるよな、と思っているだけで、昔はそういうわけでもなかったかもしれないし。

やっと少し夏らしくなってきたかな? と思いつつも、なかなか梅雨が明けなかった年も確かにあった。結局梅雨が明けていなかった年もあった。今年はどうなんだろう。ちゃんと夏がやってくるには梅雨が明けてくれないと困るな。海の日はもうとっくに過ぎてしまったけれど、暑くて日差しの強い日がやってくるのだろうか。

 

平日に休みを取る


基本的には土日が休みの仕事をしているのだけれど、たまに平日に休みを取ることがある。今日もそうだ。
一番取ることが多い曜日は月曜日である。土日に旅行をしたり、あるいは日曜の遅くまでライブなりイベントなりがあったときなんかに、翌日辛いから、という理由で休みを取ることがある。
全休にしたからにはいろいろ用事を済ませたいものである。平日休みは貴重だ。例えば銀行などで手続きや振り込みをしたいときは、平日に休みを取るととても用事を済ませやすい。昼休みの1時間に用事を済ませることもできなくはないけれど、せっかくの休憩時間にいろいろせかせかと動くのは良いことではない。休みたいし。なのでこういった機会にまとめて済ませるのが良いものだ。
病院なんかも土曜日に行くと混むのでこういった日に入れることのできる類のものであれば済ませたりする。花粉の時期やインフルエンザの予防注射の時期はそうやって病院に行くのがいいと思う。タイミングによるけれど。

旅行に行くために1日休みを追加する(土日祝日にくっつける)のもいい使い方だと思う。観光地は特に平日のほうが圧倒的に空いているし、なんなら日曜日の夜あたりから、空いている観光地を楽しめたりするわけだ。温泉宿に日曜の夜に泊まるのも良い。月曜日にゆっくり帰るのは、混雑に巻き込まれにくいとかそういった意味でとても良いものである。まあたまにちゃんと調べていかないと軒並み月曜日は店が休みだとかそういうこともあるけれど、ちゃんと調べない自分が悪いのである、それは。

全休にせず午前半休にしたりするとそれはそれで結構ちょうどよいのだけれど、午前半休で会社に行った時の「仕事してない感」がすごい。そもそも昼間の半端な時間に電車に乗っていると、出勤しているという感覚を忘れてそのまま職場の最寄り駅を通過してどこかに行ってしまいそうになる。私服通勤なのでなおのこと危ない。そうして出勤しても今度はあっという間に定時がやってくる。13時から17時半とかまでしか働かないと一日が本当に短い。うっかり飲み会でもあろうもんならさっさと定時で帰るわけだけれど「今日何もしてないな感」がすごくて不思議な気持ちになる。
当たり前なのだけれど半球であれば有休消化は0.5日分になるので、同じ休みを2回取れる(単純計算で)のは微妙に得した気分になる。こまめに休むのがいいってことなんだろうね、精神衛生上は。


ごくまれに、体調が悪くて休みを取ることがあるけれど、一度出勤してしまってからだとなんだかんだ休めずそのまま定時まで働いてしまうこともある。熱とかそういうことではなくて例えば頭痛とか、そういう人にうつさないタイプの体調不良の場合だ。昼ごはんが食べられる程度の体調なら、まあなんか残業はできないけれど定時内ならなんとか働けてしまったりする。そういう時に本当は午後半休を使えばいいのだろうけれど、いろいろ当日に休むのが面倒くさくて我慢してしまう。
午後に休みを取るとなると13時から休めるわけで、でも午前中の仕事をぼんやりこなして昼ご飯を食べて……なんてやっていると昼休みが13時からと遅いこともあって気が付くと14時とかになっているわけだ。もう17時半まではそんなに時間もないし、よっぽど高熱が出たとかでなければそのまま働いてしまうわけである。
休みを取ってもいいんだろうけどさ、会社的には。申請するほうが面倒くさいというか、我慢して定時で帰るほうが楽というか。まあこれも貧乏性とかそういうことなのかもね、もったいない的な思考は。

 

つくね


やきとりの"つくね"が好きなのだけれど、いつからか軟骨を一緒に混ぜて作られるものが増えたように感じる。あれっていつぐらいからだろう。記憶にある限りだと、コンビニでつくね棒とかを売り始めたあたりからよく見るようになった気がする。
美味しいし食べ応えがあるので好きなんだけれど、いつから軟骨入りがスタンダードになったのだろう。

ファミマで売っているつくね棒は、軟骨入りのものだ。なんとなく揚げ物は買い食いしたいと思わないようなときが多いのだけれど、そういう時につくね棒を食べたりする。同じくファミマでは軟骨の入っていないつくねも売っている。焼き鳥のラインナップに並んでいるものがそうだ。あっちは純粋なつくね。つくね棒は揚げ物的な(実際揚げているのかもしれないが)そういう位置づけのラインナップに含まれている。つくね棒は焼き鳥ではないということだ。まあ確かに見た目も大きさも焼き鳥のそれとは違う。球体の大きなつくねが3つばかり串に刺さって売っている姿は、たれに絡んでジューシーな姿をしている焼き鳥とはちょっと違う。違うけどなんか美味い。なんだこれは。
焼き鳥のほうのつくねは何というかこう、焼いてるって感じの味がする。なんだその語彙は。でもまあそういう感じなんだって。焼いてるんだなぁって味がする。味というか風味というか。実際にその場で焼いているわけではないんだけどさ。常温で貰っちゃうし。

件のファミマであるが、調べたら2009年の新商品発売情報に乗っていた。140万食限定で発売する旨が書かれている。それから10年たって、今や普通に置かれているからすごいもんだ。美味しいもんねあれ。

もちろんコンビニだけの話ではなく、普通の焼鳥屋でも売っているのを見るようになった。

間違いなくつくねは2極化している。焼鳥屋ではかなり顕著に2極化している気がする。
1つは軟骨入りの、ぎっしりつまったつくね。歯ごたえとか食べ応えとか、そういうのがすごく重視されている。焼き鳥タイプのものだけではなくて、鍋の具材として使うようなものもある。味がギュッと詰まっている感じがして美味しい。好き。
もう1つはつなぎたっぷりのふわふわのタイプ。これもすごくいろんなところで見るようになった。溶き卵とかといっしょに出てきて、たれ付きのつくねをそこに絡めて食べるとかそういうもの。あれはあれですごくおいしいし、たぶん一人だったら何本も食べちゃうんだろうなっていう、そういう味。好き。

これまでは軟骨入りの躍進が目覚ましいけれど、もっと発展すると違う形態のものが出てきたりするんだろうか。商品開発する人ってすごいよね、ほんと。

 

のり弁はのり弁のままで


無性に食べたくなって、のり弁を食べた。よく行くお弁当屋さんにものり弁が置いてある。ほかの大手のお弁当屋さんのものとほとんど変わらない内容ののり弁だ。370円ののり弁。味噌汁をつけると+100円なので、相対的に味噌汁が高く感じる。マジックのようだ。
私は味噌汁が好きでしかも食事中は何かと水分が欲しいタイプなので、どんなお弁当を買うときも必ず味噌汁の類をセットで付ける。370円だろうと900円だろうと。あるならば付ける。それだけだ。
弁当屋さんで売っている、大きな鍋でたくさん作った味噌汁って美味しい。なんだか学校給食を思い出すような懐かしい味がする。きっと学校給食も同じように大きな鍋で作っていたんだろうな。お弁当屋さんもそれは変わらないんだろう。
今日は50円引きの割引券を持っていた。味噌汁とのり弁合わせて470円が420円。安い。こういったとき値段を牛丼屋と比べてはいけない。どんぶりとお弁当は別。食べたくなったら牛丼だって食べるし、食べたくなったからのり弁を食べている。

それよりもなによりも。

今日はすごくおなかがすいていた。給料日が20日なのでお金はあんまりないような気がするけれど、財布には現金がそこそこ入っている。肩代わりしていたチケット代をもらったからとか、カードで大きな買い物(PCを買った)をしたのを忘れているとか、まあそういうことなんだけれど、財布にお金が入っていると気持ちが少し大きくなるものである。
だから、今日はのり弁をちょっとだけグレードアップして、特のり弁を食べることにした。特のり弁はまず形状からして違う。ほっともっととかだとあんまりのり弁と差がないのだけれど、私が今日行った店ではのり弁と特のり弁には大きな違いがあった。

ご飯の上におかずがのっていないのである。これは驚きである。のり弁といえば、ご飯をしいて、おかかをのせて、のりで覆う。その上におかずをのせて出来上がりという代物である。それがセパレートになっている、それだけでなんだか普通とは違う。
おかずもちくわの磯部揚げと白身魚のフライがあって、あと唐揚げがついていた。それになぜかマカロニサラダ。フライの下にパスタが敷いてあったからそれだけでパスタがかぶってしまった。きんぴらごぼうの類は乗っていなくて、どうもリストラされた様子。なんだかちょっと毛色の違うのり弁、それが特のり弁だった。

美味しかったしおなか一杯になった。なったけれど、まだ、のり弁が無性に食べたいという気持ちが残っている。
そう。私はのり弁が食べたかったのだ。特のり弁は美味しかったけれど、似て非なるものであったのだ。
のり弁が食べたい。アップグレードしてあるものではなくていいから、のり弁が食べたい。不思議なもんだけれどそういうもんなんだろう。

のり弁はのり弁。
ああ、食べたい。明日また食べてしまおうか。また、というか、普通ののり弁を久しぶりに。