言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

ハッシュドポテト


冷凍食品のハッシュドポテトがとてもおいしい。あくまで冷凍食品の……というか、冷凍食品ではないハッシュドポテトと言うのは今のところお目にかかったことがない。コンビニで売っているやつがどういったものかは知らないが、たぶんまあ似たようなものだと思う。ともかくハッシュドポテトが好きなのである、私は。


冷凍のハッシュドポテトは、レンジで温めると解凍具合にかなりのムラができる。アツアツの所と、ちょっと凍ったままのところと。それがいいのだ、という奇特な人はなかなかいないと思う。ムラは出来るだけない方がいいに決まっている。
ではフライパンを使って温めればいいじゃないか、ともなるが、これがまた結構時間がかかるのであまり効率的ではないのが嫌なところだ。
電子レンジではなくオーブントースターだとなお良い。アルミホイルを敷いた上に温めると結構ムラなく温めることができる。あとは電子レンジとフライパンの合わせ技。レンジで温めた後にフライパンで仕上げると、良い感じに香ばしく焼き上がった感じになる。小腹がすいた時にいそいそと台所で作ると結構上手にできるのでお勧めだ。


コンビニとかで売っているものは、その場で揚げているのだろうか。少々油っぽい感じはする。でもまそれもいい。冷凍食品を焼いて食べるハッシュドポテトと、油で揚げて食べるもの。どちらもタイミングは違うけれども揚げているのは同じである。どちらも美味しい。
冷凍食品のものを焼いた場合、しっとりとしたハッシュドポテトになる。もちろん油分は含んでいるけれど、カリッとした焼いた時独特の香ばしさと、しっとりとして食べ応えのある感じが良い。
冷凍の物を揚げて調理する場合のハッシュドポテト(コンビニとかのタイプ?)は、カリカリかつふんわりとしていてこれもまた美味しい。油調理のジューシーさは他の何物にも劣らぬ美味しさがある。
いずれも違う良さがあり、そして基本的に同じ味がするから面白いしそれが良い。


ハッシュドポテトが主役扱いされることはあまりないと思う。言うなれば名脇役。ご飯のおかずではないし、パンに載せたりはさんだりもしない。主菜の横を支える脇役ポジションに位置することが多いと思うし、私もわりとそういうものだと思っている。今日の食事は何ですか? ハッシュドポテトです! とはならないだろう。ならないけれど、こうしてピックアップして「好きだ」と言いたいくらい好きな存在である。


ちなみにコンビニで売っているホットスナック系の中では、ハッシュドポテトと同じくらい好きなものがある。
それは春巻きだ。

そもそも肉系のホットスナックをあまり食べないというのもあるけれど、それを差し引いても春巻きは好きな存在である。ハッシュドポテトも春巻きも、かなり油分の多い存在だけれどもなんだか食べてしまうのだ。両方とも冷凍食品で良く売っている存在で、ハッシュドポテトはそれこそ良く食べるのだけれど、なぜかあんまり春巻きは家で食べないのは不思議なものだ。
コンビニとかでは同じように並んで手同じようにチョイスするし、同じくらい好きなのに。

習慣とかの問題なのかな、わからないけど。

 

 

割引物語

会社の近くのドラッグストアでは今、10%引きクーポンを配布している。1品限りではあるが一番高いものから10%オフになる代物だ。期限は今月末まで。その店舗限定のクーポンなので他の店で使う事は出来ないけれども、ほぼ毎日仕事前に寄り道をする私のような人間にとってはものすごく使い勝手のいいクーポン券である。


何でもそうだけれど、ポイントもクーポンも上手く使おうと思ったら通うのが一番である。ここではき違えてはいけないのが、ポイントやクーポンのために通うようになるのは本末転倒であるということである。どうせ行くのだからついでにお得に買う。これが正しい姿勢である(意見には個人差があります)。
そういった意味ではポイントよりも割引の方が直接的で使いやすい分、お得な気がする。割引を行う際はそのキャンペーン用にもちろん予算があってつまりお金がかかるものだ。その場で割引 > 割引クーポンの発行 > ポイントでの還元 の順に割引の利用率が高いらしい。ユーザーとしてはその場での割引がお得なのは言うまでもないが、使えるかどうかわからないし貯めても使うかどうかわからないポイントよりも、割引クーポンの方が利用率が高いのだ。

私も割引券は好きだ。実質値下げです! とうたいながらポイントしか付かないのは好きではない。割引が出来てついでにポイントが貯まる、これは良い。安く買えてかつ後々使うかもしれないポイントも貯める、というのはかなりお得に感じられるからだ。ポイント制度のいいところは他の値引き制度やお得な制度と競合せず併存できる場合があることだろう。ポイントは主役ではないけれど脇役としては実にすばらしい。

 

会社の近くのドラッグストアに話を戻す。

配っているクーポンの内容は1品10%オフのクーポンだが、このクーポン1枚でなんと4回も使えるクーポンだ。1日1回までの制限はあるものの、1日1回平日はほぼ毎日行く身としてはこれ以上ないクーポンである。

面白いのはその配布頻度である。まず買い物をするとほとんど毎回貰える。この時点で毎日1回しか使わないクーポン4回分を毎日貰っているので既に3回分余計に割引の権利を手に入れていることになる。
そして結構な頻度で店の前に立っている店長の存在。彼が店の前にいる理由は無論クーポンを配って店への呼び込みをするために他ならない。そうすると私は毎日2枚分割引券を手に入れ、6回分の余剰割引権を手に入れているのである。

なんだこれは。

おかげで毎日飲み物しか買わない私であるけれども、毎日10%引きで買うことができるのでウハウハである。しかも余剰分があまりに多く発生するので、6月始まって平日はまだ5日しかないのにもかかわらず既に今月末までの10%割引は確約されている状態だ。もはや定価で購入する日は今月やってこないわけである。
その上期間限定割引と称して15%引きクーポンを配布する日まであったりするので、もう何が何だかわけがわからないけれどとにかく毎日何かしら割引なのである。

私の良く買うPBのお茶は定価でも60円なので、そこに割引が入ると54円になる。毎日54円。20日買っても1040円。昼ごはんを2日で500円ずつと頑張ってみる額と同じだけ払えば1カ月分のお茶が買えてしまうのだ。
意味のわからない状況だけれど、まあ私としては嬉しい限りなのでしばらく続いて欲しい。

 

ゆっくりゆっくり下ってく


変な夢を見た。自転車に乗って旅行をしている夢だ。漕いでも漕いでも目的地にたどり着かない。足が重くてもう結構疲れているのだけれど、全然目的地が近づいてくる様子がない。あたりが暗くなってきて、いつの間にか夜になって、横になりたいな眠りたいなとか思っていても、もう宿を予約しているからそこまでたどり着かないと、と自転車を漕ぐしかない。

結局目的地とやらにたどり着くよりも先に、目が覚めた。


自転車。最近ほとんど乗っていない。ほとんどというか、一番最近乗ったのはもう3年くらい前のレンタサイクルの自転車だったと思う。家には自転車があったけれど、いつだったかに処分してしまった。場所を取るだけでもうずっと乗らないとわかっていたから。


中学生くらいまではほとんど自転車に乗って移動していたような気がする。学校へ行くのには自転車は使えなかったけれども、それ以外ならかなりの頻度で使っていた。
移動のための足。それが自転車。あるのとないのとでは大違いだった。歩いて行くのと自転車で行くのとでは、行ける距離が違う。家に帰らなくてはならない時間が決まっていただけに、歩いて行くよりもずっと自転車の方が長く遊ぶことができた。
もっとも、行き先が自転車を止められる場所でないといけないという欠点はある。それでもあんまり止められなくて困ったような思い出がないのは、そんなに遠くへ遊びに行ってなかったからだろうか。


高校生になったら急に自転車に乗らなくなった。電車に乗って学校に行くようになったからだろう。もっとも、学校まで自転車でも通うことは不可能ではなかった。というのも、近所に住んでいる友達は自転車で登校していた。私は面倒くさいのと飴の日の事を考えて、普通に電車で通ってしまった。
近いくせに乗り換えが必要だったから、定期代は結構高かった。高かったくせにどこにも寄り道するような場所のない定期区間。それでもまあ良かったのだけれど。

まあどうせ学校に行く時には使わないのは変わらないのだけれど、遊びに行くときに自転車に乗らなくなったのはすごく大きい。自転車で行ける範囲に遊びに行かなくなったというほうが正しいだろうか。いつの間にか自転車で出かけることがなくなってしまったのは、自転車で出かけるという選択肢そのものがなくなってしまったことに他ならないという事なんだろう。


社会人になった今は、自転車に全く乗らなくなってしまった。乗る理由もなくなってしまった。ごくごく稀に乗る機会があるとすれば、それは例えば旅先のレンタサイクルとか。
それもまた、車を運転できるようになってめっきり使わなくなってしまった。


昔、金沢の街中を、汗をだらだらかきながら自転車で巡ったのを思い出す。暑かったけれど、それはそれで楽しかったものだ。街中の観光地には専用の駐輪スペースみたいなものもあったし、来るまでは入れないような石畳の道なんかにも入れるから、それがちょうど良かったんだ。

今行ったらまた使うだろうか。今度は車で行くだろうか、それとも、あるいは。

 

銭湯と生活感


銭湯には生活感がある。気どらない、庶民的な味のある場所それが銭湯。

温泉はもちろん大好きだ。温泉は非日常。温泉付きの銭湯と言うのはあるけれど、それはそれでまたお得な感じ。一度で二度美味しい。でも温泉でなくても全然構わない。銭湯。だってお風呂に入りに来ているのだから。


"銭湯に通う"という経験はない。でもそういうのもいいな、とは思う。
銭湯の料金と言うのは都道府県によって固定だ。東京だと460円。10枚つづりの回数券が4300円であるから、30日利用して12900円。
高いかな? 安いかな?
良くわからないけれど、風呂あり物件と風呂なし物件の値段を比較して見る価値はあるのかもしれない、なんて。

なんだかんだ言い訳しながら、浮いたお金でコーヒー牛乳とか、フルーツ牛乳とか飲むんだろうな。節約したそばから無駄遣い。財布のひもを締めたら気持ちが緩む。きっとね。


旅先で銭湯に行くのもまた面白い。明らかに銭湯は観光地のそれとは違う。近くに住んでいる人が利用するのがほとんどで、たぶん旅行客がせっせと入りに来るようなシチュエーションはかなり希少だと思う。入りに行くとそこにいるのはやっぱり地元の人っぽい感じ。なんとなく「自分もたまに来てます」みたいな顔して番台さんにお金を払ってみるけれど、「あ、タオルとかってあるんでしたっけ」の一言で台無しだ。台無しでいいんだけれど。

誰もいない空間に向かって首を振っている据え付けの扇風機。板がむき出しの棚に無造作に置かれた、籐で編まれた籠。ビンのジュースの入ったガラスの冷蔵庫。野球中継を流しているテレビと、それを見ている風呂上がりの人。
懐かしさってこういう事を言うんだろうな、とか思うのが何だかおかしい。

ガラリとドアを開けるともうもうと湯気が立ちこめて、湯船の向こうにタイル張りの富士山が見えてくる。初めて入る銭湯なのにどこか懐かしかったりするのは、そういう何か心の原風景みたいなものを、タイル張りの富士山がそうであるようにイメージとしてすりこんでくるんだろう。いつかどこかで似ているものに出会った、その感情が懐かしさを創り出す。

 

昔ながらの銭湯は、何でか知らないけれどお湯が熱い。ぐつぐつ煮えてるんじゃないかと思うくらい熱い。頭にタオルを乗っけた人が真っ赤な顔をしてじっとお湯につかっている。我慢比べをしているかのように微動だにしない人もいる。私は専らカラスの行水。熱いお湯に長く浸かる我慢が出来ないんだ。それでも何度かちゃんと肩までお湯には浸かる。インターバルをはさんでみたりして、なんどかお湯に入る。

そういや小さい頃は肩までつかって100数える、とかやったっけ。定番だけど、ちゃんと覚えている。外でやった覚えはないけれど。我が家のお風呂も熱かった。熱いのが好きだからと熱々のお湯を張るのに、いつもなぜか温めがいい私が最初にお風呂に入った。水で埋めすぎて怒られたこともあったっけ。そんなに熱いのが良いなら最初に入ればいいじゃんの一言で順番が変わるなら、早いうちから言えば良かった。


もう大人になったから、銭湯だろうと家だろうと誰も怒らない。それでも銭湯だとどうも早く上がるのはもったいないような気がしてしまう。なんでだろう。大人になったという事なのか、あるいはそれとも。

 

 

銭湯のシャワー

銭湯のシャワーは何故固定式のものなのだろう。
あれが全国の銭湯で共通なのかどうかはわからないが、家の近くだけではなく、旅先で行った銭湯もそんな感じだったことからだいたい固定式のシャワーが使われているようだという事はわかる。そしてそれはほとんど銭湯でしか見たことがない。一部あるとしたら、合宿所とか古い旅館だとか、そういう場所だろうか。
「昭和レトロ」なんていったら怒られるかもしれないが、私にとってはそういう単語を想起させる代物である。

この間、旅行中に銭湯に行ってきた。特に深い理由はなく、ホテルの風呂でもいいけれど銭湯が近くにあるし行った方が楽な気がする、という理由でいそいそと出かけて行った。
こじんまりとした、地元の人が使っているんだろうな、という感じの銭湯。入ってみると、定番の富士山のタイル壁画と洗い場である。私は入らないけれどサウナもあった。

さてまあその時にふと気が付いたのだけれど、銭湯の洗い場についているシャワーが固定式なのである。私の住んでいる家の近くの銭湯も良く考えてみればそうだし、北海道でたまたま行く事になった銭湯も似たような感じだった。
この固定式のシャワーって、そういや銭湯特有だな、とか思ってしまったのである。


固定式のシャワーとはどういうことか。「銭湯 シャワー」で検索してもいまいちこれ、というような画像が出てこないので想像がしにくいかもしれないが、シャワーヘッドだけ壁にくっついている物、という説明でなんとなくわかって欲しい。シャワーヘッドだけなのである。コックやハンドルが付いていて、それを開け閉めすることでお湯が出る。調整できるのはお湯の強さだけである。稀に温度調節の出来るもの(お湯と水を選べるようなもの)もあるが、だいたいは開閉くらいしか操作できない。完全に固定式のものだと、左右にも動かせない。だから身体を洗おうと思ったら、お湯を黄色い「ケロリン」の洗面器にためて流したり、あるいは髪を洗う時なんかはもう身体をシャワーの方に近付けて洗うのだ。

まあ不便と言えばかなり不便である。シャワーと言えば手で持って使える取り回しの良さが一つの魅力であるのに、その良さが完全に失われているのだ。

ところが固定することで良いこともある。通常のシャワーは取り回しの良さからあらゆる角度で使われうるわけで、それは自宅であれば困る人もいないので良いのだが、銭湯のような公共の場であると「水が人にかかる」という事象が発生するのだ。身体を流す時、特に肩あたりにシャワーヘッドを向けるとき、水が身体よりも後ろに飛んでいく事はかなりの場合で起きる。

これは結構トラブルの種になるらしく、実際知り合いが後ろに座っている人に水を掛けてしまって怒られている姿を見たことがある。後ろ側に人がいる場合には使う人が考えなければならないのだ。

固定式のシャワーのいいところは、シャワーが他の人のところまで飛んでいく事がないということだ。もちろんお湯を洗面器にためて掛ける場合はその限りではないが、シャワーそのものよりも気を付けやすいような気はする。
銭湯はそう広い洗い場もなかったりするので、自由にシャワーを使えるようにするよりも、多少不便でも不快感やトラブルのもとにならないように工夫した末のあの構造なのかもしれない。


ちなみに同じように銭湯と名乗っていても、スーパー銭湯なんかは全然違う。固定式のシャワーはほとんど見たことがない。銭湯と名前が付いているけれど値段はスーパー銭湯の方がほとんどの場合高いし、温泉だとか岩風呂だとかそういうものが一緒に付帯しているから別物だ。
だからか知らないが固定式のシャワーではないし、一般的なシャワーが付いていることが多い。
銭湯の固定式のシャワーも良いけれど、やっぱり私個人的には普通のシャワーが使いたいな。なんか洗えてないところがありそうで怖いしね。

 

 

カレー屋だと思う何か


インド料理屋、と言っていいのだろうか。あるいはインドカレー屋と言うのが正しいだろうか。

ネパール人が経営するインドカレーのお店があちらこちらに存在するのは昨今珍しいことではない。私も結構好きで利用することがあるけれど、美味しくて何よりボリューム満点で、そんなに外すこともなくちょうどよい存在である。
ナンの存在がかなり目立っており、専らライス(というかご飯が)大好きな人間である私だけれども、こういったカレーのお店ではライスではなくナンを注文することが多いほどだ。ボリュームがあってちゃんとお中にたまるのにお替りのナンを持ってきてくれる……なんてのは、体験したことがある人も多いだろう。
調子に乗って食べすぎてしまって昼からお腹がパンパンになるような思いをすることもしばしばである。


そんなカレーのお店で、カレー以外のものを頼んだことがあるだろうか。
私はほとんどない。メニューを見ればカレー以外のものもちゃんと載っているものだ。よく行くお店でもそう。なのに、カレー屋に来たのだからカレー、と思考停止をしてカレーを頼んでいるのである。
カレー屋に行こうと思った時点で想像しているのはカレーだから、なかなか他のものには手が出ないものだ。

しかしまあ、時には冒険心が必要である。新しいお気に入りメニューを探す意味でも、違うメニューに挑戦してみるべきではないか。


今、一番気になっているのはビリヤニというやつである。ちゃんと調べると「パキスタン料理」と出てくるのだが、まああまり気にしないようにしておこう。

なぜビリヤニなのか。特に深い理由はない。単に何かのテレビかなんかで出てきたのを見て美味しそうだと思ったから、みたいな動機である。パエリアとか好きだしビリヤニも美味しいでしょたぶん、みたいな思考だ。そんなもんだ、私の頭の中は。

 

昔よく行っていたカレーのお店は、お昼に持ち帰りの500円で食べられるカレーランチがあった。ライスだけでなくナンを選ぶこともできたので、ある時期すごくハマってリピートしたものだった。
そのお店は例によってネパール人経営のインドカレー屋……かと思っていたのだが、どうも違うらしく、メニューにタイカレーがあったり、パッタイ(タイの焼きそばみたいなやつ)があったりしたので、タイ人系列のお店だったのかもしれない。その割にはインドカレーの系列のメニューも普通に揃っていたし、ナンも至って標準的なものだったし、東南アジアからインドまで一緒くたになった面白いお店だと思っておくことにしていた。

お持ち帰り品はカレーだけだったので、その店で食べたのはほとんどカレーだった。1回だけ店の中で何か違うのを食べたような記憶があるが、それが何だったか思い出せない。
そうこうしているうちに、もうそのお店は無くなってしまった。お店の開いていた期間はわずか2年余りだった。

いろいろカレー以外のメニューもたくさんあったのに、全然食べないままに閉店してしまったのが心残りである。


だからこそ今よく通っているお店でビリヤニを食べてみたい、という思いがある。そう思って昨日、ビリヤニを頼んでみた。

「ごめんなさい、限定15食なんですよ」

売り切れだった。
そういうこともある。だから昨日はビリヤニではなくてカレーを食べた。また挑戦しよう。頼んでみてビリヤニがないと言われればカレーを食べる。それだけである。ビリヤニが食べれなくても、店を出る必要はない。だってその店のカレーがとても美味しいことはすでに知っているから。


限定15食ということは、早い時間に行かないと売り切れるということだろう。

私の昼休みは13時からである。
……しばらくビリヤニは食べられなさそうなので、違う店にしてみるべきだろうか。

 

オイスターそれは牡蠣

恥ずかしながら、オイスターソースが牡蠣から作られているということをしばらく知らずに生きてきた。しばらくというのは確か中学生くらいの時までの話である。牡蠣が英語でオイスター(oyster)というのはなんとなく知っていたものの、それがオイスターソースと全く結びつかないままでいたのだ。家族に牡蠣アレルギーの人がいたのにオイスターソースが平気だったのも原因かもしれない。
そういうわけで牡蠣=オイスターつまり牡蠣から作った調味料がオイスターソース! と気づいたときには結構衝撃的だった。オイスターソースで味付けされた青椒肉絲が大好きであるから余計にである。


確か、気づいた直接的なきっかけは、読んでいた漫画に「オイスターバー」に行こうとするというシーンがあったことからだったと思う(スクールランブルだったか)。オイスターバーとは何ぞや。ぼんやりした中学生にはそれがよくわからなかった。家の近くには当然ないし、誰かに連れて行ってもらったこともない。そもそも牡蠣自体がそんなに身近なものではなかったからまずオイスターバーというのが想像つかないのである。

オイスター=牡蠣
バー=お酒を飲むところ

オイスターバー=牡蠣を飲むのか???? とかアホなことを真っ先に思っていた。

気になってちゃんと調べたら生ガキとかを出すバーのことだとわかったのだけれど、それはそれで驚きだった。牡蠣といえば勝手に鍋とかそういう和食的なものに入れるイメージばかり想像していて、実際それでしか食べたことがなかったからだ。和食的ではない食べ方をされていて面白いもんだなとか、欧米やオーストラリアとかでも普通に牡蠣を食べるんだなとか、そういうことを思ったのを覚えている。
その流れで「あれ、そういや"オイスター"ソースって言うよな……」とふと気が付いて、冷蔵庫の中のオイスターソースの成分表示を見に行ってオイスターソースと牡蠣がここでやっと結びついたのである。

牡蠣は結構珍味的なものだと思っていただけに、世界中で普遍的に食べられていると知って驚いたし、普段からそれはもう普通に食べてるじゃないかと衝撃だった。

オイスターソースに限らず牡蠣の加工品は結構ある。牡蠣醤油あたりが有名だと思うけれど、コクがあってうまみが凝縮されているのでとても美味しいのである。
昔、広島土産で牡蠣醤油の味付け海苔をもらったことがあるが、やっぱりすごく美味しいし好きな味だなと思う。今度また広島に行くことがあったら、買いに行こうかな、なんて今でもこっそり思ってるくらいだ。


オイスターバー?

当たるのが怖いけど、それも行きたい。生を食べなきゃいいんだけれど……。

残業と休憩と

8時間勤務をすると1時間の休憩がもらえる。これはもう当たり前のように取得していて、1時間きっちり休んでいる。
ところが最近会社から言われたのは、「定時以降に残業する場合は30分追加で休憩があるよ」という話だった。8時間を超えたら追加休憩が取れると。なるほど、例えば18時定時で20時とかまで働く場合、18時から18時半まで休んでいいい、という話。
まあなんか要するに昼休憩だけじゃなくて、場合によっては夜にも休憩取ってね、という話で、その時間を使って軽食でも食べたり、夕飯にしたりしてしまえばいいじゃないか、的な、結構善意的な目的の休憩時間である気はする。


……それでもまあ、全然嬉しくない。


シフト制のアルバイトをしていた頃は、そういった追加の休憩がありがたかった。なぜなら9時~21時とかで時間が決まったシフトであったからだ。それならば休める休憩は全部休みたい。仕事量うんぬんというよりも、レジにいなくてはならないとかそういう負荷が高い仕事であればあるほどである。来る時間と帰る時間が決まっているんだから、それなら休めるだけ休んでおきたいというものだ(その分時給は減るわけだけれど)。始まりと終わりが決まっている場合の休憩時間追加は普通に嬉しいものだけれど、そうでない場合の追加は普通に嫌なもんだ。

30分の休憩、昼に追加で取れるならまだしも、18時過ぎたらはい休憩ですよ、となるくらいならその分早く帰りたくないか……? と思ってしまうわけである。後ろ(帰宅時間)の決まっていないような残業で休憩してしまうと、休憩分は無給かつ帰りが遅くなるというデメリットのほうが大きい。30分残業して30分休憩するなんてことにもなりかねない。それではあまりに意味がない。
そもそも、私のスタンスとしては、早く帰れるなら早く帰りたいというところにある。もちろん仕事が終わればの話だけれど、さっさと片づけて早く帰りたいと思っているわけである。

そういうわけで、会社には「休憩扱いになってるけど休憩してないからその分残業代くれよな(意訳)」と言ってみたところ「別にいいよ」というありがたいお言葉をいただくことに成功した。拍子抜けである。まさかすんなり通るとは思っていなかったからありがたい。
残業後に30分休憩してから帰るとでも計算しているのか、別に休憩があろうとなかろうと残業代として出してあげるよ、ということなのか、よくわからないけどうまい具合にお金はもらえることになった。

残業しないでいられたらそれが一番いいんだけれども、まあそれは言わないってことで……。

休憩時間がもっと自由にあったらいいのにな、とも思うけれど「裁量労働」「コアタイムとか言われてしまうとそれはそれで面倒くさいし、いわゆるみなし残業とかそういうみなし的な勤務になっていくのも嬉しくないので、適度に主張できるようにしたいものである。

 

給湯室があるオフィス

最近、平日は毎日コーヒーを飲んでいる。土日も飲むことがあるから、そういった意味ではほとんど毎日飲んでいることになるかもしれない。

どうしてかと言えば、職場でコーヒーが出るからに他ならない。職場と言っても今私がいるのはレンタルオフィスである。自分の会社ではない。サービスなのか良くわかっていないが、毎日15時くらいになるとわざわざ係りの人が持ってきてくれるので、ありがたく頂戴しているのだ。
インスタントのお湯を入れて飲むような簡単なものではあるけれど、それでも非常にありがたいものであることに変わりはない。15時頃という時間もまた絶妙で、もうちょうどお腹もいっぱいで眠気がすごいタイミングにブラックコーヒーを頂けるというのは素晴らしい塩梅であると言わざるを得ない。

おかげで最近辞められたのが、甘いコーヒーを購入することだ。朝あまりにも眠い時には買う時もあるけれど、食後に甘いものでも……という意味での購入はとんとなくなった。甘くしようと思えば給湯室にある砂糖を突っ込めばちゃんと甘くなるのだけれど、そのままブラックで飲んでいるのでそういう意味でも良い傾向である。
仕事をしながら口を付けると色々と摂りすぎてしまうものである。ながら食べとかながら飲みとか言うやつだ。美味しいとか美味しくないとかではなくてとにかく消費してしまいがち。だから甘いものとかに走ってしまうのだ。満足感が欲しくなって。

そういう意味では温かいブラックコーヒーでちょうどいい。どうせ眠いし、甘くなかろうと貰えるものは嬉しいし、どうせトイレだって近くにあるからいつでも行き放題だ。

問題があるとすればカフェインの摂りすぎくらいだろう。週7に近いペースでコーヒーを飲むと人はどうなってしまうのか、それは今はあまり考えないことにする。
家でも仕事でもちょっとした外出でもコーヒーを飲む機会は多いので、もうどうにもならないかもしれない。唯一飲まないと言い切れるタイミングは旅行中くらいだろうか。車を運転する時は別だけれど、それ以上に移動中にトイレにどうしても行きたくなるようなシチュエーションだけは避けたいのである。理由は主にそれだけだ。


ところで甘いものを飲まなくなったとは言ったが、最近、スープを飲むようになった。コーヒーとかと同じで、お湯を注いで混ぜればすぐに飲めるようなタイプのものである。夕方なんとなく小腹がすいた頃に、給湯室でお湯を貰ってきて作るのだけれど、これもまた実に良いものである。なんとなく甘いものより良いような気はしているのだけれど、実際どうなんだろう。塩分の取り過ぎで怒られそうではある。

今は、JALの機内で提供されているあのコンソメスープが売っていないか探している真っ最中だ。昔どこかで販売されていた気がするのだけれど、どうも見つからない。空港に行けば売っていたりするだろうか。
仕入れて仕事中のお供として仲間入りさせたいものである。そうすれば少しコーヒーの頻度も高頻度じゃなくなるかな?


なんて。

ランチで焼肉を食べる

ランチの焼肉というのはとても気分がよい。自分で焼いて食べるタイプのランチ焼肉定食は、値段はそれほどかからないのにもかかわらず、非常に満足感があって良いものである。


実は最近、会社の近くにランチで焼肉ができる店を見つけてしまったのだ。肉も普通のランチより多いし、ご飯と味噌汁のお替り自由。味噌汁はなんと豚汁である。サラダと小鉢もついてくる。それで850円だとか言われたらもう笑いが止まらない。すごいじゃないかと。


ご飯のお替りが自由であるというのはトラップである。店が悪いのではない。自分の意志の方が悪いのだ。まして焼肉とくればついうっかりご飯を食べてしまう。最近あまり食べすぎないようにしようだなんて思っていた矢先のご飯お替り無料の焼肉定食なんて、風前の灯火を何とか保ってきたのに水をぶっかけて消してしまうような、そんな存在である。

ところが、うっかり頼んでしまっても後からそんなに後悔しない。普通は食べすぎると後悔するのだけれど、それくらいを覆す力はランチで食べるこの焼肉にはある。そう思っている。

なのでご飯をお替りする代わりに豚汁をお替りするという手法を取るのもいいだろう。汁物は満足感がある。豚汁だから具もたくさん入っているし。

ただし、ご飯は無くなることはないけれど、豚汁は往々にしてインスタントのわかめスープに変更される。これは豚汁がランチ時限定であるかららしい。昼の分がなくなればそのあとはとりあえずつなぎでわかめスープとなるのだろうけれど、まあ仕方がない。別に嫌いではないし。


ランチの当たり外れというのは結構重要だ。その日のお昼ご飯を「外して」しまうと、午後のやる気にモロに関わってくる。逆に素晴らしいお昼ご飯と巡り会えたのならば、仕事の効率が上がるかどうかは別にしても下がってしまうことはまずないだろう。

そうじゃなくても食事は1日3回くらいしかないわけだし、そこで大外しする機会損失は計り知れないものなのである。


焼肉ランチで大当たりするというのは素晴らしいことなのだ。好きに焼いて好きに食べて好きに帰ればいい。それくらいでちょうどいい。

問題があるとすればにおいが服や体につくことだろう。密閉された室内とかで仕事をしているときにはあまり向かないかもしれない。

まあ私の場合はそれでも窓を開けるなりなんなりしながらさりげなく換気して、ごまかしているけれども(ごまかせているかどうかは知らない)。

 

昨日も昼から焼き肉をした。


贅沢をした感じがするのに850円。同じ値段で、よくわからない適当な居酒屋ランチもできるけれど、私は焼肉の方がずっといい。特に会社周辺の居酒屋ランチの満腹感はどうも快いものではないからだ。

たぶん、揚げ物が多いとか、その揚げ物の質が悪いとか、作り置きだとか。ご飯も古いお米を使ってるとか、とにかく濃い味付けでごまかそうとしているタイプとか。

まあ要するに居酒屋ランチは玉石混交過ぎるのだ。メニューも、店そのものも。


肉を焼く。

食べる。

自分の好きなように食べる。とても良い。

 

最近行っている850円焼肉ランチの店は、なんと近くに姉妹店があるという。ランチメニューは全く同じだ。値段も中身も全く同じである。混雑しているときが多いから、そういった選択肢があるのはとても嬉しいものだ。

 

 

私はたぶん痩せられない。