言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

旅先では名物が食べたい病

旅行に行くと、当然楽しみの一つに食事がある。そこでしか食べられないものを食べることは旅行の醍醐味だ。しかしながら、毎食名物を頂こうというのは、なかなか難しい問題が立ちはだかって切る。
一つは金銭的問題。名物、特に観光客向けのものはとにかく値段が高いことが多い。海産物は特にそうで、地域にもよるがウニ丼なんて食べた日には3000円くらいとられることはよくあるし、それがうなぎに変わったとしてもだいたい同じことが言えるだろう。もちろんそうでない店も存在するだろうけれども、それをネットで事前に調べたり、あるいは実際に歩いて探したり聞いてみたりと、それなりに面倒くさい上にそもそも安く済ませられないどころか高くても元々「そういうもの」だったりするわけだ(ハレの日の食べモノだったりすると余計にそう)。1日や2日ならば旅行だからと思い切って食べて見ることもやぶさかではないのだが、これが5日6日と続いてくるとなると大変だし、資金が続かなくなってくる。
第二には、先にも少し書いたが調べるその労力だ。昼はまだしも、夜つまり夕飯が難しい。地方都市、それも駅ビルがあるような所であれば、その中に地場の飲食店が入店していることが多いので、それを食べに行くのが手っ取り早い。電車で移動している旅行であれば、宿泊先が駅からそう離れることもない。私の場合、離れる場合は温泉旅館など食事つきで楽しもうと予約している時くらいだ。だから大抵はまず駅ビルなどにどんな飲食店が入っているのか、そしてそれが果たして地元ならではの食事を楽しむことが出来る店なのか、を調べるわけである。これは実際は賭けに近い。駅の規模や地方の規模と、駅ビルに地元の食事ができる店が入っているかはイコールではないからだ。また、妥協点も難しい。例えば福島駅には名物の円盤餃子を食べられる地元の名店が入っているが、1時間以上並んでも入れるかどうかという人気ぶりだ。ここに並んで時間を使うのか、あるいは他の店に行くのか……でも餃子ならば他の店は駅チカにはない、じゃあ別のジャンルの店に……などとやっていると、また調べるところからやり直しだし、事前に複数の候補を調べるkと尾は出来ても、それが同じ方向、場所にあるとも限らず、そう言う意味で労力と見合わないことが出てくるのである。

なかなかこうして考えてみると、旅行先での食事は難しい。結局納得ができるかどうかなのだから、自分が納得してしまえばいいのだが、「後から名物を見付けて悔しい思いをする」体験をしたくないという防衛的な思想がきっと私をこうして悩ませることになっているのかもしれない。

しかしまあ、こういった時の妥協点として使いやすいものがある。
一つは海産物だ。地場系の回転寿司があればそれはもはや妥協ではないし、地ものが少しでもネタの中にあるならば多少チープな感じの店でも見なかったことにして食事をしてしまう。あとは海鮮丼なんかは非常にグレーではあるが、地元のものを食べているような気がする海鮮系の中ではわりと価格も高すぎず良い。
二つ目は、駅弁である。名物駅弁なんてのが理想だが、最悪「この地域の有名なものの駅弁」や「近くの駅の有名駅弁」でも構わない(事実私は秋田の東能代駅大館駅名物のとりめしを食べた)。地元の名物を弁当とはいえ手軽に楽しめるのは悪くないし、そのまま電車に乗るわけではないからコンビニで野菜や味噌汁なんかを足して食べることもできるから悪くない。ただしデメリットとしては、連れがいるときには流石に出来ないと言う事。基本的には独り旅の時のみの戦略である。
そしてこれは奥の手というか、最終手段として挙げられるのはずばりラーメンである。ラーメンと言っても、札幌ラーメンとか喜多方ラーメンとか、そういう確立したジャンルのラーメンではない。名古屋で言う「すがきや」のようなその地方ローカルでは有名なラーメンチェーンとか、そういうものでもない。もっとぼんやりとした「上州味噌使用」とか「地元産もやし使用」みたいななんとも言い難いけれども一応地元かな? といった代物である。確かに他では食べられないかもしれないが、特にそういう種類とかジャンルではなく、あくまで店が謳っている独自性を信じて食べに行くわけである。悪い話ではないが最終手段でもある。これがなければ大人しくコンビニに行ってせめてもの抵抗で「北関東限定」などと書かれた具の入ったおにぎりを買ったりするわけである。
ラーメンが嫌いなわけではない。むしろ好きだし、名物ラーメンは食べたい。だからこそ、名物ラーメンを翌日昼にでも食べるかもしれない前夜に食べたラーメンの思い出があっさりと上書きされたり比較されたりするような行為はしたくないのである。

私が北海道のセイコーマートのようなコンビニが好きなのはこんな面倒くさい背景があってのことである。何かと理由を付けて行動がしたくなるのだけれど、それこそ入りたければサイゼリヤにでも入って楽しく食事をしてしまえば良いのに、なかなかそれができないのはどうしたらよいものだろうか。

 

朝活

朝とても早く起きて、家を出る。まだ日の昇っていない、あるいは顔を出してすらいないそんな時間に街を歩く。駅へ向かう。
それだけでなんだかこれから楽しいことが起きるぞ、という気分になる。
もちろんこれはプライベートの時に限っての事で、仕事なんかで早起きしなきゃならない事とは全く両立しない。あくまでプライベートの場合に限ってだ。

例えば電車の始発の時間に合わせて起きた時。当たり前だがいつもより何時間も早く起きているので眠い。出かける準備をして、一応忘れ物がないか調べるがまああまりしっかりとはやらない。やれない。まあなんか忘れててもいいよな最低限はあるから、と思いながら家を出る。日が昇っていない。4時台なら冬はおろか夏でも真っ暗だったりする。いつもあんなに駅に向かって人が歩いているのに、1人としてそんな姿は見られない。住宅街の早朝はひたすらに静かだ。多少虫の鳴き声とかはするものの、せいぜいたまに通り抜ける車の音とか、遠くで走ってる新聞配達のバイクの音だとか、そんなのが気になるくらいには静かだ。そんな中を心地よい眠気と、これから出かける興奮と混ぜこぜになったふわふわした気持ちで歩いて行く。

月の出ている方向を見れば、まだまだ群青色の深い夜空。けれども反対側を見れば程よくうすら明るい青の空。それは青いけれども決して橙とも言い切れないようなそんな空。浮かんでいる雲もそんなに白くはない。朝日に照らされて半分は白とも橙とも取れる色をしていて、もう半分は影のようにねずみ色をしている。空もまだあの抜けるような青空になるにはまだ時間がかかる、準備の時間帯。夕暮れの時の茜の空には見せない色がそこにはある。
そうして顔を覗かせる太陽は、肉眼ではっきり直視しても眩しくない橙色で少しずつやって来る。日の出は夕暮れと同じように、しかし決して同じ色を纏ってはいないからどちらも美しい。夕暮れは普通活動している時間だから見ることは容易いけれど、日の出はなかなか冬でもないと活動している時間ではないから、そのぶん日の出は尊いと言えるかもしれない。

大きい荷物を持った私は明らかに非日常的な存在だ。これから出かけるんだぞ、だから朝早いんだぞ、とばかりに街を歩いて行く。
対して、すれ違う人たちは案外日常的だ。新聞配達の人はもちろんだが、早朝ランナーの人なんかもそう。この人は毎日こうして朝早く起きて走っているのだろうか。自己投資のために早起きができる人はすごい。私にはできないなあ、なんて思いながらすれ違う。こうしてたまに非日常的に動くくらいが関の山だ。

 

インドア派にキャンプは出来るのか?

実はキャンプというものをしたことがない。根っからのインドア派であることは間違いないのだが、本当に機会がなかったと言うのが正しい。
例えば子供の頃よく耳にしていたのは休みは家族でキャンプをするのが恒例だと言う話。羨ましいとか以前にキャンプって何するんだ? くらいの知識しかなかったために、あまり羨ましいと思った経験もない。我が家は家族でキャンプに出掛ける文化がなかった。その代わり父が旅行好きなのいで、旅行には良く行っていた。泊まるのは基本的にホテルだから、外でテントを張って一夜を明かすと言うような経験がないわけである。

キャンプと言えば、勝手なイメージだがテントを張って外でたき火をして、という印象が強い。天気さえ悪くならなければ結構楽しそうだな、と思ってはいるもののなかなか手を出せていない。周りにキャンパーが少ないからかもしれないが、一緒に行くような仲間もおらず、かといって初心者がいきなりソロキャンパーになれるものかな? なんて思って尻込みしている。
誰か教えて欲しい。やり方というか、ソロキャンプの楽しさみたいなものを。ぜひやってみたいのだ。

ちなみに外で調理をするような経験はある。いわゆる飯盒炊爨という奴はそれこそ修学旅行なんかで経験済だ。屋根が付いていて、薪を放り込んで火を付ければ良いタイプの飯盒炊爨場である。みんなで一斉に調理するものだから異様に煙たくてそして熱かったからか、火の番をしていたクラスメイト数名は食後に熱を出して寝込んでしまった。あれはあれで意外と過酷だ。
でもメタルマッチかなんかを使っての火起こしなんかはやったことがないし、木を集めて来てそれをくべて、なんてのは全くだ。動画とかで見ると簡単そうだけれど、あれも多分やったら結構難しいんだろう。あと山の中とかだと夜とかは怖そうだ。でもやってみたい。その怖さも含めて楽しいのかもしれないし。

ソロでもいいからやってみたいなあ、と思いながらも尻込みしているので、誰か背中を押してくれるといいなあ、なんて思っている。それじゃダメなんだろうけどね。

 

不思議な色の月を見た


新千歳空港で出発の飛行機を待っている時、ふと窓の外が目に入った。暮れかけている群青色の空に、丸くて大きな月が浮かんでいるのが見える。そうか、今日は満月だったかな、と思いながらしばらくそれを眺めているうちに、私は空港の中に展望デッキがあることに思い当たった。幸い夏とはいえ北海道の夜は涼しい。外に出て多少風に当たっても良いだろうと思い、私は外へ出た。

展望デッキには多くの人が既に景色を眺めていた。流石に暗くなっているからか、カメラを構えた人は少なかった。駐機場の明かり、滑走路のライト、飛び立つ飛行機、そして遠く地平線から少し上のところに浮かんでいる月を眺めていた。私はずっと月を眺めていた。

丸くて、そしていつもより大きく感じた。大きくて、何だか少し赤みがかっている気がした。夕陽と、月と、ちょうど間くらいの色だろうか。やや赤くそして神秘的な色をしていた。

今日はそういう、特別な月が見られる日だったか? そう思い私は手元のスマートフォンで調べる。けれども何も出てこない。満月であるという情報だってままならない。特になにもない、普通の日、たぶん満月であろう普通の日であると言う事だけしかわからなかった。

そうこうしているうちに、これから夜に向かって空を昇っていくであろう月に、異変が起きた。
満月だったはずなのに、上の方からだんだんと欠けてきたのである。最初は見間違いかと思った。けれども、どんどん欠けて来て半月になってしまったあたりで確信した。
何か起きている。

となればあれだろうか、月食という奴だろうか。私は興奮してまたスマートフォンで調べ始める。でも、何も出てこない。その間にもどんどん月は欠けて行って、もう三日月みたいになっているのに、月食の文字はどこにも出てこない。月食は先月末にあったばかり。じゃあ今日は? これはなんだ? 
どこを探しても答えが出てこない。

そうして月は欠けて行って、最後うっすら線のようにになってそのまま消えていってしまった。
あんなに大きくて丸かった月はどこにもいなくなってしまった。

飛行機に乗る時刻は21時。タラップを上がりながら空を見上げると、そこには何事もなかったかのように丸くて白い月がそこにあった。満月だ。これが本当の、普通の満月だ。

じゃあ、さっき見たものはなんだ? あの赤くて、大きくて、そして上から欠けて消えていってしまったものは?

飛行機が羽田空港に着陸した時、曇り空の中で月は見えなくなってしまっていた。
私は夢を見ていたのだろうか?

北海道のコンビニ


北海道に行く機会があった。北海道はやはりご飯がおいしい。活きのいい海鮮はもちろん、スープカレージンギスカン、ラーメンだって美味しい。が、しかし、観光客向けのこれらは値段が高い。新千歳空港や札幌市主要部、それに小樽なんかは観光客が多いからか結構値段が高いものが多い。例えば千歳とか、積丹だとか、少し離れればそう高すぎるものばかりでもない事はわかっているし、店を選べば高すぎず美味しく食べられることも分かっている。例えば根室花まるという北海道の地場系回転すしチェーンは根室本店、函館、札幌とそんなに高すぎない値段で美味しい寿司を堪能できる店だと思っている。
まあこの手の問題は旅行をする度に持ちあがってくる問題でもある事は重々承知である。毎日名物を食べるべく探していると、金銭的に厳しさを感じることも普通にある事だろう。

しかし、北海道には面白い存在がある。それは「セイコーマート」だ。北海道の資本のコンビニであり、北海道以外にも茨城や栃木などに少しだけ出店しているものの基本的には北海道の北海道による北海道のためのコンビニチェーンである。

その実態はなかなかに素晴らしい。聞くところによれば全国数社あるコンビニメーカーのどこよりも顧客満足度が高いと言う。かくいう私も大好きだ。セイコーマートが家の近くにあればいいのにとかなり強く思っている。それくらいに好きだ。
まず旅行者的には「北海道限定の商品」だらけであると言う事を推していきたい。飲み物だけでもガラナソフトカツゲンなどは当然のように取りそろえているし、ちくわパンのような他地域ではなかなかお目にかかれないような独特のラインナップの総菜を取りそろえていたりする。あとあまり関係ないが妙にワインの品ぞろえのいい店があるのは面白いところだ。
110円で帰る焼うどんなどのシリーズも良い。値段の割にたくさん入っているし、手軽に軽食や夜食としても買いやすい。おにぎりは冷たいものだけでなく店内で作っている温かいものまである。もちろんお弁当も同じように店内調理品があったりする。これがまた美味しい。

このセイコーマートだが、とにかくどんな田舎に行ってもある。人口の少ない地域でも、買い物に行けるようにということらしい。店名がセイコーマートでなくても、提携をしていて商品がセイコーマートのものであったりする。札幌市内ではそれはもう振りむければそこにセイコーマートという勢いで店舗展開されているが、広大な田園風景の中に集落があればそこにもほぼ必ずセイコーマートがあったりする。

セイコーマート商品が好きであれば北海道生活は健康楽しいものになるだろう。もちろん短期滞在でもお世話になってみると面白いと思う。旅行にありがちな「その土地の名物を食べなければ」という強迫観念にも、セイコーマート商品は結構ちゃんとしたものを安価でお試しできたりするので、そんな欲求にもちゃんと答えることができる。セイコーマートは万能選手なのだ。

惜しいのは、ほとんどの店舗にATMがないことくらいだろう。設置されている店舗があればそれは元々別のコンビニチェーンであった可能性が高い。函館主要部の新聞社に入っているセイコーマートなどがまさにそれで、あそこは元々ローソンだったと言う。三大主要コンビニがなくなってそこに進出するセイコーマートの北海道での強さと合いされている様子がよくわかるエピソードでもある。

ただのコンビニと侮ることなかれ。北海道でセイコーマート、通称セコマが待っている。

百日紅の赤い花

近頃、百日紅の花をよく見る。あの何とも言えないすべすべの樹皮が特徴的な樹木であるが、この夏に咲く花は意外にも可愛らしく可憐だ。赤とピンクの二種類あるのかどうかわからないが概ねこの二色が多く見られ、夏の青々とした景色にひと花添えてくれる存在である。

 サルスベリ、という響きではあるが、「百日紅」と書くのもなんとも愛らしい。確かに紅色をしたいい色の花が咲くし、百日とまではいかなくても長い期間花が咲いて目を楽しませてくれる。夏のこの酷暑にあって意外と珍しい存在なのかもしれない。

 

 先日たまたま立ち寄る機会のあった「あしかがフラワーパーク」は、季節によって入場料が違うらしい。理由としては、季節によって見られる花の数などが変わるからということだろう。公園のような形で直接植えているものであるから、まさか季節ごとに展示を変えるがごとく、植え替えなど行えるはずもない。であるからこそ、夏は咲いている花が少ないこと個からか、値段が安い。

 藤の花は見ごろを終え、バラは品種によるがもうすでに末期、とすれば百日紅や睡蓮の花が見どころとなるわけである。もちろん趣向を凝らしてあって、例えば夏の昆虫展示なんて言う形でイベントなども行っていたりするから、決して言って損をすることはない。だが藤の季節に千円以上の入場料がかかることを鑑みても、夏300円で入れてしまうのはなかなかにお得だ。

 

特に私は百日紅のあの縮れた赤い花が好きであるから、あの姿を見られるのであれば、とてもうれしいものである。例えばそれは桜のように一面を覆いつくすような華やかなものではない。例えばそれは金木犀のように芳香を発するものでもない。だからこそ良いのである。夏にこうして花を長い期間見せてくれる存在であるが故の価値なのであり、何物にも埋もれない良さがそこにはあると思っている。

 

 百日紅の花には日当たりのいい、そして青々とした空がよく似合う。青と赤のコントラストというやつだ。森の中にあるよりかは、少し開けたところにあるほうが多い気がするのはそのせいだろうか。百日紅は日陰をあまり作ることはできない。しかしながら、日向だからこそ美しさが引き立つわけで、これはこれで夏の花としては正しい在り方なのである。

「ビジネス」ホテル

ビジネスホテルをビジネス以外で利用するのは実に良い。というか、ビジネス利用をするのはあまり嬉しくない、ということでもある。むしろそっちだ。ビジネスホテルという名前でありながら、私はビジネスで使うのはほとほと嫌になってしまっている。
1日限りの出張ならまあ何とも思わないが、それなりの日数を重ねるとなると問題は深刻だ。
チェックイン時間15時からこれは特に問題ない。どうせ着くのは夜だったり、これより早くについても荷物くらいは預かってくれるし、旅行でもビジネスでも変わりはない。チェックアウト10時は何とも言えない。というかほぼ関係ない。仕事ならどうせ10時までホテルに居られるはずもなく、さっさと支度をして出かけなければならないからだ。

ホテルは泊まる所であって、生活の場ではない。だからあの狭いユニットバスでも良くて、だからあの微妙な幅の狭い机であっていいわけで、短い時間だからこそ許されているわけであって。ビジネスホテルを拠点に4泊5日で仕事でもしようもんなら、それこそ体調にはっきりと支障が出てしまうから嫌なのだ。

昨今のビジネスホテルは非常に清潔だし、サービスも充実している。例えば少々値は張るがドーミーインなどでは大浴場完備で部屋もトイレと洗面台が別になっている貴重なホテルだ。これは朝の支度をする際などに便利だし、洗顔料などを忘れて行ったしまう危険も少なくなる。あとまあトイレと一緒の設備は使いにくいという意識的なものもある。コンフォートホテルやアパホテルなんかは設備としては普遍的だが、普遍的ゆえにそつがなく良い。コンフォートホテルは特にベッドと枕の感じが私の好みと合致しており、定宿にしていたくらいだ。スーパーホテルなんかも部屋に上がる時は靴を脱いで上がる仕組み(リラックスして欲しいと言う心遣い)だったりして、なかなか良いなぁと思ったりもする。東横インやルートインはやや古い設備の所はあるが、全国どこでも同じようなサービスを受けられるのは他のチェーンと遜色ない。ややマニアックだがヴィアインはほぼ駅チカで非常に便利だし、マンテンホテルなどは地方板ドーミーインといった趣があり、これも設備として充実している。

だからこそこれらは非日常的な旅行にて利用したいのだ。あわただしくホテルに帰ってきて、残った仕事をしながら過ごし、翌朝もそれなりに早く起きてともすればゆっくり朝食などは摂れず(例え無料朝食であったとしてもだ)に過ごす、ビジネス的な使い方は非常にもったいない。もったいないし、まあ一日だけだからな、という旅行的な考えが使えないのでとてもやりにくいのだ。

あとこれはもう本当に個人的な事情だけれど、花粉症の季節などは外泊はなかなか覚悟がいる。当たり前だが、部屋を清潔にするために、清掃の時には窓を開けて空気の入れ替えをするだろう。シーツやタオルなど洗濯物は業者に頼むだろうからいいとしても、部屋の扉も窓も全開で掃除するのだから、環境は外と限りなく同等である。これは花粉症患者にとってはじわじわ来る。

繰り返すが1日使う程度ならどうという事はないのだ。日常的に使うから辛いのだ。乾燥で喉は傷めやすいし、ベッドや枕の合わないホテルはそれだけで神経を使うし、あと椅子1つをとってもずっと使っていると支障が出るのは外出先ならではだ。インターネット環境もまた同じで、ホテルの回線が速いかどうかは完全に運だし、大抵遅い。プライベートならそこまでしてPCを使わないししたくなったらネカフェでも行けばよいのだが、仕事は別だ。ビジネスホテルそのものは決してビジネス向きではない。電話もしにくいし。

はっきり言って、私はビジネスホテルが好きだ。だからこそビジネスではあまり使いたくない。
しかしながら、各種特典など大抵ビジネスホテル業界では「泊った回数」が特典の対象であるから、じれったいのである。特典のために泊まるのか。泊まるから特典が付くのか。しかし10回止まれば1回無料なのは捨てがたい……などという具合に泥沼にはまっていくのである。

 

夏の桜並木の魅力

暑い夏には日陰が必要だ。外出先には日陰が少ない。であるからこそ日陰を生み出してくれる並木道の存在は貴重である。
夏の桜並木は、緑に包まれている。必然、日陰が多い。桜の花が咲く頃にちょうど良い間隔で植えられているからか、夏の盛りにはかなりの密度で葉が日陰を作ってくれる。いくら高温多湿であっても、日射が遮られているというのはこんなにも快適であるかと思ってしまうわけである。風通しが良ければなおのこと良い。日向では熱風と感じられても、日陰であれば涼しく感じられる事が多いからだ。
もちろん、桜並木に限ったことではない。しかし例えばどうだろう、銀杏並木ではこうはいかない。銀杏であれば枝葉を広げすぎることはなく、むしろ樹高に振り当てられる。密集した並木道の形成は広葉樹であればこその事である。
かと言って、他の広葉樹で大規模な並木道が作られることは稀である。桜、この場合はソメイヨシノであるが、春先の開花時期には葉がまだ生えてこない事も景観の上で「一面の桜並木」を作り出すのに貢献しているわけだから、並木として作るのに適当だ。故に多く育て並木道を作り出しているのだろう。春は花、そして新緑。夏になれば若葉というよりはしっかりと生い茂った緑。そして秋になれば葉は色づき、赤や黄色となって散っていく。この落ち葉の姿もまた美しいものだ。
おかげで夏は日陰として重宝する。桜並木は当たり前だが多くの場合歩くための道であり、外出先でいつも日陰を定期してくれる存在であるわけだ。

青々と生い茂る夏の桜並木は、景観としても良い。桜のあの薄桃色の花が高揚感をもたらすとすれば、緑はどこか癒される存在である。暑さで辟易として早くどこかへ入りたいと思いながらも、並木道の存在は流れる時間を少しばかりゆっくりにしてくれる効果があるように思えてならない。日陰だけでなく、あの日陰を所々で割り入ってくる木漏れ日の存在もまた良いものだ。影の輪郭を浮かび上がらせるように地面に映る光があれば、見上げた時に葉から透けて見える光もまた良し。風でそれらが揺れ動くさまもなかなかに風流だ。

 

惜しむらくはこの暑さ。暑すぎてそこまでたどり着くまでに酷く辛い思いをしなければならない事だ。

夕立とゲリラ豪雨

夕立と言えば、夏の風物詩である。夏によく発生するのはその暑さゆえで、日射によって暖められた空気が上昇気流となって積乱雲を形成することからも条件のそろいやすい夏によく起こるのであだ。これが夕方に起こるのは単純に午前のうちから日が照って気温が上昇しやすいため積乱雲を形成しやすいからであるらしい。確かに言われてみれば夜は涼しくはないものの日射による気温上昇はあまり起こらない。であるからこそ日射のピークである午後を頂点として気温が上がり、そのあおりを受けて積乱雲が発生するのである。


ところがこのところではとんでもない酷暑の日が多いためか、夕立やにわか雨というようなどこかやさしい単語では収まりがつかなくなっている。いわゆる「ゲリラ豪雨」という奴だ。狭い範囲で急速に発達し、局地的に豪雨をもたらす。これでは風流だなんだと言っていられない。身の危険を感じるレベルの大雨が降り注ぎ、まさにバケツをひっくり返したような水量で全身ずぶぬれだ。大気が不安定な場合も多く雷まで鳴りだしては、もう傘を差したところでどうにもならなく、ダメだ。そのくせ極めて局地的に降り注ぐものだからタチが悪い。下手をしたら隣町では雨が降っていないから、ゲリラ豪雨にあってから移動すると、なぜこのカンカン照りの日に川を持ってそのうえどこか濡れている奴がいるのだと怪訝な顔で見られるわけである。これは困ったものだ。もっとも、昨今ではこうしてゲリラ的に豪雨に見舞われることは珍しくないので、ああどこかで大雨が降ったな、くらいに思えるかもしれない。

まずいのは、雨が降りそうだということで対策は打てるのだがあまりに局地的すぎて本当に降られるかどうかわからない所だ。まったく降られない事もあれば、直撃してしまう事もある。もはや運みたいなものだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦。できるのは直前までの警戒か、折り畳み傘の常時携行、そんなものだ。

他国、特に東南アジアなどではスコールと呼ばれる現象も良く起きる。熱帯地方ではより高温かつ多湿な気候であり、極端な熱帯気候ではない台湾のような地域でも猛烈な夕立のような形でスコールに襲われるのもしばしばだ。雨も激しければ風も激しい。前に台湾へ行った時は折り畳み傘を常に携行していたし、夕方になれば大抵こうした豪雨に襲われることはわかっていたので、この時間に屋外観光などは控えるようにしていた。


夕立という言葉自体は夏の季語だ。季語であり、古来からそう言った俳句なども詠まれている。決して現代にだけ起こる特殊な現象ではないのだ。もっとも、猛暑どころか酷暑と呼ばれる現代の方がより発生しやすくなおかつ激しくなりやすいわけで、風流だなぁと感じるよりは、夕立とは困ったものだな、と思う方が強いように感じる。そうして今日もまた大雨に襲われるわけである。


見てをれば 夕立わたる 湖水哉
               正岡子規

ローカルチェーンの魅力

ある特定の地域に根付いたチェーン店というものがある。例えば、函館の「やきとり弁当」のハセガワストア函館市内を中心に14店舗を構えるハセガワストアはまさにローカルチェーンである、その上で地元のソウルフードであるという。函館出身のバンドであるGLAYもこれがソウルフードだと公言しており、函館に来るアーティストへの差し入れなどによく使っているそうだ。
函館にはほかにラッキーピエロというハンバーガーチェーンあったりと、ローカルチェーンは結構いろいろ種類があって地元に根付いていることがある。

もちろん、全国チェーンを否定する意図はない。むしろ全国チェーンはこうした地元に根付いたローカルチェーンへ対抗すべく様々な施策を凝らして販売領域を拡大していると言う事はよくわかるだけに、全国化しているだけの理由があるわけだ。さらに言えば、どんなチェーンも初めは小規模であったはずだし、場合によっては長らくローカルチェーンだったものが徐々に規模を大きくしていく事もある。北海道発のコンビニチェーンのセイコーマートがまさにそれで、北海道内に留まらず、茨城や栃木、埼玉に進出している今がまさに拡大中のローカルコンビニのそれである。一方で、群馬発祥のコンビニ・セーブオンは先ごろローソンに買収され、完全に看板を付け替えることとなった。新潟県などにも進出してかなり規模としては大きくなっていたが、とうとうセーブオンそのものはなくなってしまった。全国で同じように利用されるようになるのは難しいことであると思う。これだけ地域によって好みの差がある中でどう戦っていくか、はかなり難しい問題だろう。

そう言う意味で、地域に愛されるローカルチェーンにはさまざまな魅力が秘められているわけだ。
北海道ばかりに目を向けたが、全国的に知名度のあるローカルチェーンと言えば静岡県のハンバーグチェーン「さわやか」だろう。赤身のぎっしり詰まったげんこつ大のハンバーグの人気なチェーンである。関東に一番近い御殿場店などは休日は途方もない待ち時間のなるほどだ。最近待ち時間をメールでお知らせてくれる機能ができるほど、需要があるわけで、この愛されぶりは目を見張るものがある。もっとも、観光客が沢山押し掛けることを地元静岡ではどう思っているのかはわからない。ローカルチェーン故のもどかしさはありそうだ。

私のような旅行者にとって、ローカルチェーンの存在は非常にありがたい。その地域に行ったら地域のものが食べたいと思うわけである。地域のもの、という括りは曖昧ながらもさりげなく効力を発しており、さあ全国チェーンに入ろうか、という気分になるのは長期滞在の時や発祥の地などそれなりに理由がないと入りにくい。そんな時ローカルチェーンはありがたい。これを目標にして訪れている時もあればそうでもない時もあるわけだが、ローカルチェーンという保険というか安心して入れる店が担保されているのは、あまり旅先で妥協せずに済むと言う点で重宝しているのだ。